国学院久我山高・河内貴哉に3球団競合
桐生第一が夏の甲子園で群馬県勢初優勝を飾った1999年。秋のドラフトで優勝投手の正田樹以上に注目を集めたのが国学院久我山高の左腕・河内貴哉だった。
当時は大学生と社会人を対象にした逆指名制度があり、各球団2人まで獲得可能、2巡目までは重複した場合は抽選というルールだったため、上位指名確実な高校生を欲しい球団は、逆指名を捨てて競合覚悟で指名する必要があった。
結果的に河内には近鉄、広島、中日の3球団が競合した。外れ1位も含め、各球団の1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。
阪神は的場寛一、甲子園優勝投手の正田樹は日本ハム
阪神は九州共立大の的場寛一を逆指名で獲得。強打と堅守のショートとして期待されたが、ケガもあって通算24試合出場にとどまり、2005年オフに戦力外となった。
近鉄は河内を外し、延岡学園高の右腕・宮本大輔を1位指名。3年目には35試合に登板して2勝を挙げたものの白星はその2つに終わり、合併球団のオリックス移籍後の2009年オフに戦力外となった。
抽選で河内を引き当てたのは広島だった。甲子園には出場していなかったが、大野豊の背番号24を受け継ぐなど大きな期待をかけられ、2004年には先発で8勝をマーク。2015年オフに戦力外となるまで16勝28敗23ホールドの成績を残している。
日本ハムは桐生第一高の左腕・正田樹を単独指名。ヤクルトや台湾でもプレーし、NPB通算25勝38敗4ホールドの成績を残している。
横浜はPL学園高・田中一徳、オリックスは剛腕・山口和男
ヤクルトは藤代高で通算30本塁打を放っていた野口祥順を指名。2002年にはプロ初打席初本塁打の衝撃デビューを飾ったが、レギュラーをつかむことはできず2014年オフに戦力外となった。通算339試合出場で84安打、8本塁打の成績を残している。
ロッテは日本通運の左腕・高橋薫を逆指名で獲得。小宮山悟の背番号14を受け継ぐなど期待は高かったが、一軍登板を果たせないまま2004年オフに戦力外となった。
横浜はPL学園高の田中一徳を指名。前年の甲子園では2年生ながら松坂大輔擁する横浜高との死闘で活躍するなど、野球センスへの評価は高く、2002年には112試合に出場した。しかし、その後は伸び悩み、2006年オフに戦力外通告。通算341試合出場で75安打、15盗塁の成績を残している。
オリックスは三菱自動車岡崎の剛腕・山口和男を逆指名で獲得。2002年には伊良部秀輝に並ぶ158キロをマークし、「日本最速」の称号を手にした。2009年オフに戦力外となるまで、通算173試合登板で14勝15敗29セーブ4ホールドの成績を残している。