日本ハム、ヤクルト、西武が広沢を指名、チームメートの竹田光訓も3球団競合
夏の甲子園で取手二高が決勝でPL学園を破って初優勝した1984年。秋のドラフトは同年のロサンゼルス五輪で金メダル獲得に貢献した明治大のスラッガー・広沢克己に注目が集まっていた。
当時は指名が重複した場合は抽選、外れた場合はウェーバーというルール。広沢には日本ハム、ヤクルト、西武の3球団が競合し、広沢と同じ明治大の右腕・竹田光訓も大洋、巨人、中日の3球団、近大工学部の右腕・佐々木修は南海と近鉄、箕島高の右腕・嶋田章弘は阪神と広島の2球団が競合した。
外れ1位も含め、各球団1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。
日本ハムは河野博文、南海は田口竜二
日本ハムは広沢を外して駒澤大の左腕・河野博文を指名した。1988年に防御率2.38でタイトルを獲得するなどの活躍を見せ、1995年オフにFA宣言して巨人に移籍。ロッテに移籍した2000年に引退するまで、通算462試合登板で54勝72敗15セーブをマークした。
竹田光訓は大洋が引き当てた。東京六大学リーグ通算21勝を挙げた右腕は、1986年にプロ初勝利を挙げたものの、それが唯一の勝利だった。韓国球界でのプレーを挟んで大洋に復帰した1991年に引退した。
南海は佐々木を外して都城高の左腕・田口竜二を指名。春夏ともに甲子園で桑田真澄、清原和博が2年生だったPL学園に敗れた左腕は、2年目に1試合に登板したのみで白星を挙げらないままユニフォームを脱いだ。
3球団競合の広沢克己はヤクルトが引き当てた。明治大で18本塁打、ロサンゼルス五輪の金メダルを引っ提げてプロ入りし、池山隆寛とのクリーンナップで長打を連発。打点王に2度輝き、巨人、阪神でもプレーした。2003年に引退するまで通算1736安打、306本塁打、985打点をマークしている。
阪神は嶋田章弘、西武は大久保博元、巨人は上田和明
近大工学部・佐々木修は近鉄が引き当てた。アンダースローからスライダーやシンカーを武器に活躍し、1991年には10勝をマーク。通算36勝38敗2セーブの成績を残し、1994年に引退した。
箕島高・嶋田章弘は阪神が当たりくじを引いた。兄の捕手・嶋田宗彦(住友金属)も阪神から4位指名され、プロ入り後に兄弟バッテリーが実現。しかし、ケガもあって投手としては大成せず、1990年に野手転向し、近鉄、中日と移籍して1996年に引退した。通算138試合出場で59安打、20打点だった。
西武は広沢を外し、水戸商高・大久保博元を指名。高校通算52本塁打のパワーは中尾孝義との交換トレードで巨人に移籍してから花開き、移籍1年目の1992年に15本塁打を放った。1995年に引退するまで通算158安打、41本塁打、100打点。2015年には楽天の監督を務めた。
巨人は竹田を外し、ロサンゼルス五輪に出場した慶応義塾大のショート・上田和明を指名。しかし、レギュラーをつかむには至らず、通算203試合出場で61安打、5本塁打の成績を残し、1993年に引退した。