ヤクルト、大洋、阪急、西武の4球団が東海大・高野光を指名
夏の甲子園で桑田真澄、清原和博の1年生コンビの活躍でPL学園が優勝した1983年。秋のドラフトでは、東海大の右腕・高野光や甲子園で夏春連覇を果たした池田高・水野雄仁らに注目が集まっていた。
当時は指名が重複した場合は抽選、外れた場合はウェーバーというルール。高野にはヤクルト、大洋、阪急、西武の4球団が競合し、創価高の左腕・小野和義には南海、近鉄、日本ハムの3球団、東芝の右腕・川端順にはロッテと広島の2球団が競合した。
外れ1位も含め、各球団1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。
中日は享栄高のスラッガー・藤王康晴、南海は加藤伸一
高野光を引き当てたのはヤクルトだった。東海大で通算23勝をマークした長身右腕は、1年目にいきなり開幕投手を務めるなど10勝をマーク。3年目の1986年にも12勝を挙げ、ダイエーに移籍した1994年に引退するまで通算51勝55敗13セーブの成績を残した。
ロッテは川端を外して沖縄水産高の右腕・比嘉良智を指名。一軍では1試合に登板したのみで1987年にユニフォームを脱いだ。
中日は享栄高で通算49本塁打をマークしていたスラッガー・藤王康晴を指名。高卒1年目から34試合に出場して2本塁打を放ったが、レギュラーは獲得できず日本ハム移籍後の1992年に引退した。通算237試合出場で92安打、10本塁打だった。
南海は小野を外して倉吉北高の右腕・加藤伸一を指名。シュートを武器にダイエー、広島、オリックス、近鉄でも活躍し、2004年に引退するまで通算92勝106敗12セーブをマークした。
阪神は中西清起、3球団競合の小野和義は近鉄
阪神はリッカー・中西清起を指名。高知商高3年春のセンバツで優勝した右腕は、1985年にリリーフとして11勝3敗19セーブの好成績を収め、21年ぶりのリーグ優勝に貢献した。その後も阪神ひと筋で1996年に引退するまで、通算477試合登板で63勝74敗75セーブをマークしている。
近鉄は創価高・小野和義を引き当てた。1986年から4年連続2桁勝利を挙げるなど、主に先発として活躍。西武、中日と移籍し、1997年に引退した。通算82勝78敗4セーブの成績を残している。
大洋は高野を外して法政大・銚子利夫を指名した。市立銚子高時代に近鉄の4位指名を拒否して法大に進学し、プロ入り後は1988年にサードのレギュラーに定着。広島移籍後の1993年に引退するまで通算433試合出場で278安打、3本塁打の成績を残した。
日本ハムは小野を外して駒澤大・白井一幸を指名。俊足のスイッチヒッターとして活躍し、1989年には38盗塁をマークした。通算1187試合出場で889安打、168盗塁の成績を残し、オリックス移籍後の1997年に引退した。