若田部健一にダイエー、巨人、広島、西武の4球団競合
夏の甲子園決勝で大阪桐蔭が沖縄水産を破って初優勝を果たした1991年。秋のドラフトは駒澤大の右腕・若田部健一や関西学院大のショート・田口壮に注目が集まっていた。
当時は4巡目まで指名が重複した場合は抽選、外れた場合はウェーバーというルール。若田部はダイエー、巨人、広島、西武の4球団、田口は日本ハムとオリックスの2球団、東北福祉大の右腕・斎藤隆は大洋と中日の2球団が競合した。
外れ1位も含め、各球団1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。
阪神は萩原誠に背番号31、斎藤隆は大洋
阪神は全国制覇した大阪桐蔭の4番・萩原誠を単独指名。高校通算58本塁打をマークした地元・大阪出身のスター候補は、掛布雅之氏がつけていた背番号31を与えられるなど大きな期待がかけられたが、大成することなく近鉄移籍後の2001年に戦力外となった。通算124試合出場で38安打、4本塁打だった。
ロッテはヤマハの右腕・吉田篤史を指名。主に中継ぎとして活躍し、阪神移籍後の2004年に引退するまで通算292試合登板で26勝37敗6セーブの成績を残している。
大洋は中日と競合した東北福祉大の斎藤隆を引き当てた。1996年から3年連続2桁勝利を挙げるなど活躍し、2006年からメジャー挑戦。2013年には地元・仙台の楽天入りし、2015年に引退した。日米通算112勝96敗139セーブ53ホールドをマークしている。
4球団競合の若田部健一を引き当てたのはダイエーだった。東都通算20勝を挙げた剛腕は1年目から10勝(13敗)をマーク。4度の2桁勝利を挙げて2002年オフにFA宣言して横浜に移籍し、2005年に引退した。通算271試合登板で71勝75敗。現在はソフトバンクの三軍投手コーチを務めている。
巨人は谷口功一、田口壮は地元オリックス
巨人は若田部を外して天理高の右腕・谷口功一を指名。2年生だった前年夏に1年先輩の南竜次(元日本ハム)とともに二枚看板として全国制覇した長身右腕への期待は高かったが、ケガもあって1勝もできないまま西武、近鉄と移籍し、戦力外となった。
日本ハムは田口を外して松商学園高の右腕・上田佳範を指名。1993年に野手転向し、中日移籍後の2008年に引退した。通算1027試合出場で486安打、37本塁打。現在は日本ハムの外野守備走塁コーチを務めている。
ヤクルトは東京学館浦安高の左腕・石井一久を指名。甲子園出場はなかったものの、2000年には最優秀防御率のタイトルを獲得するなど主に先発として活躍した。ドジャースとメッツでも計39勝を挙げ、西武移籍後の2013年に引退。日米通算182勝137敗1セーブ4ホールドをマークした。現在は楽天のGM兼監督を務めている。
関西学院大で通算123安打をマークした田口壮は地元オリックスが引き当てた。プロ入り後にレフトにコンバートされ、イチローや谷佳知と豪華外野陣を形成。メジャーでも通算672試合に出場し、オリックス復帰後の2012年に引退した。日米通算1601安打、89本塁打。現在はオリックスの外野守備走塁コーチを務めている。