リーグ優勝、日本一決定試合に先発した高梨裕稔
昨シーズンのヤクルトは、様々な経緯で入団した選手たちが揃って結果を出し、日本一に輝いた。ドラフトで指名した村上宗隆や山田哲人、サンタナやマクガフといった助っ人外国人選手たち。近藤弘樹や今野龍太ら戦力外通告を経て復活した選手。そしてトレードでチームに加わった田口麗斗や高梨裕稔もそうだ。
振り返ってみると、リーグ優勝と日本一を決めた試合はともに高梨が先発だった。トレードで加入して3年目を迎えた高梨は、移籍後ワーストの12試合の登板にとどまったものの、4勝1敗、防御率3.63と結果を残し、節目の試合で大役を果たしている。この高梨の活躍だけでなくヤクルトと日本ハムにおけるトレードは、移籍後に結果を出している選手が多くいた。
高梨は太田賢吾とともにヤクルトへ加わったわけだが、交換要員として日本ハムへ移籍したのが谷内亮太と秋吉亮の2人だった。
秋吉は現在自由契約となり苦しい立場ではあるが、移籍1年目には53試合に登板して25セーブを挙げ、防御率2.96と活躍。離脱期間はあったものの守護神の役割を果たした。谷内は移籍1年目に24試合の出場だったが、2年目に50試合、そして昨シーズンに自己最多の106試合に出場。内野全ポジションを守れるユーテリティープレーヤーとして重宝されている。
高梨とともにヤクルトへやってきた太田も内外野守れる貴重な存在。2019年には90試合に出場した。昨シーズンは一軍では29試合の出場だったものの、二軍では首位打者を獲得。虎視眈々と一軍定着を狙っている。
それぞれの活躍期間は違うものの、移籍から3シーズンを終えた段階で各選手ともに一定の成果は出しているのだ。
大杉勝男だけでなく交換相手の小田義人も好結果
この両球団でもっともインパクトがあったのは、1975年の大杉勝男(日本ハム→ヤクルト)と小田義人、内田順三(ヤクルト→日本ハム)のトレードだろう。大杉は前年こそ打率.234、22本と低迷していたが、本塁打王と打点王をそれぞれ2度獲得しており、通算287本塁打を放っていたスラッガー。実力は折り紙付きだった。
移籍1年目の1975年こそ13本塁打にとどまるも、2年目からは3年連続29本塁打以上を記録。1978年の初優勝にも大きく貢献した。1983年の現役引退までにヤクルトで199本塁打を放っている。
小田はヤクルト時代に規定打席に到達したことはなかった。しかし移籍1年目からレギュラーに定着。規定打席に到達すると打率.319を記録し、白仁天(太平洋)と激しい首位打者争いを演じた。白が打率.31926に対し小田は打率.31873と僅かの差で2位に終わるも、1年目から十分な活躍をみせている。
1978年に南海へ移籍したため、日本ハムの在籍期間は短かったが、3年連続で120試合以上に出場。欠かせぬ戦力となった。内田も日本ハムに在籍した期間は2年のみだが、いずれも100試合以上に出場している。球史に残る大トレードは大杉に注目がいくが、全員が成果を残していた。
2008年にも大型トレードが成立している。藤井秀悟、坂元弥太郎、三木肇がヤクルトから日本ハムへと移籍し、川島慶三、押本健彦、橋本義隆がヤクルトに加入した。藤井は日本ハムに在籍した2年で10勝を挙げるにとどまるも、両年とも110回以上を投げた。川島はヤクルトでレギュラーに定着。4年半の在籍で3度も100試合以上に出場している。
その他では今浪隆博(日本ハム→ヤクルト)や杉浦稔大(ヤクルト→日本ハム)もそれぞれ新天地で移籍後に成績を伸ばしたパターンだ。