マニエルと永尾はヤクルトと近鉄で3連覇を達成
2021年にヤクルトはオリックスを破り、日本一を達成した。前回の日本一は2001年となるわけだが、そのときの相手は近鉄だった。その近鉄とはかつて実績者が絡む交換トレードを複数行っていた。
1977年、ヤクルトは益川満育を交換相手とし、近鉄から”伊勢大明神”と称されていた伊勢孝夫を獲得した。伊勢は移籍前年に66試合で打率.204と苦しんでいたが、移籍後は復調。移籍2年目の1978年にはその異名通り、代打打率.283(46打数13安打)、2本塁打、15打点と代打の切り札として優勝に貢献している。
一方の益川は、移籍初年度に16試合に出場した。だが、翌年は出場がなく、自由契約を経て西武に移籍。西武でもわずか5試合の出場にとどまり、現役を引退した。
1979年には外国人選手を含めた大型トレードが成立した。ヤクルトから近鉄へマニエルと永尾泰憲の2人が移籍。このトレードは近鉄が大きな利を得た。
ヤクルト初優勝の立役者だったマニエルは、移籍初年度からいきなり本塁打王を獲得しMVPを受賞。ヤクルトだけでなく近鉄の初優勝にも貢献した。翌1980年も勢いは衰えず本塁打王と打点王に輝いた。しかし同年オフに自由契約となり、1981年にヤクルトに復帰している。
永尾も移籍初年度から120試合に出場し、規定打席未到達ながら打率.310と優勝に貢献した。翌年は打率.233と低迷するも104試合に出場。マニエルとともにトレード移籍によって3年連続で優勝を味わった。
一方、ヤクルトには神部年男、佐藤竹秀、寺田吉孝の3人が加わった。左の先発として期待された神部は移籍初年度こそ6勝するも、以降は3勝、1勝と成績が下降。ヤクルトに所属した3年間で10勝にとどまっている。野手の寺田と佐藤はともに目立った成績を残すことはできなかった。