鬼軍曹と呼ばれた大下剛史は日本ハムからの移籍
日本ハムはトレードを積極的に行う球団として知られる。昨年もシーズンが始まってから谷川昌希を金銭トレードで阪神から獲得した。
NPBは2リーグ制ということもあり、異なるリーグ間でのトレードが多い。日本ハムもその例に漏れないが広島とのトレードは近年成立していない。1995年の木村拓也(日本ハム→広島)と長冨浩志(広島→日本ハム)が最後となっている。だが過去を振り返ってみると、多くのトレードが成立していた。

1975年には大下剛史(日本ハム→広島)と上垣内誠、渋谷通(ともに広島→日本ハム)の1対2のトレードが成立した。大下は移籍前からダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)とベストナインを受賞していた実績者だったが、それはリーグが変わっても健在で移籍初年度から盗塁王を獲得し、ダイヤモンドグラブ賞とベストナインも同時に受賞。広島の初優勝に大きく貢献した。
1978年の現役引退後も鬼軍曹と呼ばれながらコーチとしてチームを支えた。後に他球団を含め監督となった野村謙二郎、緒方孝市、金本知憲は大下のコーチ時代の教え子でもある。
一方で日本ハムへ移籍した上垣内と渋谷は大下ほどの活躍はできなかった。しかし上垣内は移籍後2年連続で90試合以上に出場。1976年には115試合の出場でキャリアハイとなる10本塁打を放っている。
名伯楽・内田順三や侍ジャパンのコーチを務めた高代延博も
1977年には4対3の大型トレードが成立した。新美敏、鵜飼克雄、皆川康夫、内田順三の4人が日本ハムから広島へ移籍。佐伯和司、宮本幸信、久保俊巳の3人が広島から日本ハムへ移った。
広島に加入した4人は新美と内田が戦力となったものの、大きな活躍をすることはできなかった。内田は現役引退後の方がチームに残したものは大きい。1982年に現役を引退すると翌年からコーチに就任。1983~93、2003~05、2008~14年と3度にわたって広島の打撃コーチを務め、多くの選手を育て上げた。空白期間も巨人でコーチを務めており、2019年に巨人のコーチを退任するまで一度も途切れることなくコーチ職をまっとうした。
一方の日本ハムへ移籍した3人のなかでは佐伯が結果を残した。移籍初年度こそ6勝にとどまるも、2年目から2年連続で2桁勝利をマークしている。日本ハムに4年在籍した後に再び高橋里志とのトレードで広島に復帰するも、復帰後は白星をあげることができなかった。
1989年には高代慎也(延博)が日本ハムから広島へ、鍋屋道桜、滝口光則のふたりが広島から日本ハムへと移籍している。いずれも移籍後に目立った活躍はなく、わずか1年で現役を引退。一軍で出場を果たしたのも高代だけだった。高代は引退後にコーチとして両球団に在籍し、2013年のWBCでは日本代表のコーチも務めた。