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秋山幸二だけじゃない!過去3例とも優勝に影響を与えた西武とソフトバンクのトレード史

2022 2/12 06:00勝田聡
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初のトレードは外国人選手絡み

昨シーズンのパ・リーグは西武が42年ぶりに最下位となり、ソフトバンクも8年ぶりのBクラスに沈んだ。調べてみると前身球団を含めて西武とソフトバンクが、同時にBクラスとなったのは1981年以来40年ぶりのことだった。

西武は1980年代から1990年代にかけて黄金期を築いた。一方でソフトバンクは2010年代に入ってから快進撃を続けており、わずか1年といえどもBクラスで交わることはなかった。そんな一時代を築いてきた両球団が交換トレードをした例は少ない。前身球団を含めこれまでに3例しかないのである。そのトレード3例を振り返ってみたい。

初めて交換トレードが成立したのは1981年のこと。シーズン開幕直前に西武が3人目の外国人選手として、前年までメジャーリーガー(ジャイアンツのレギュラー)だったテリーを補強した。

当時出場選手登録できる外国人選手、いわゆる外国人枠は2人だけ。また、支配下登録できる人数も現在のように無制限ではなく3人までで、それもこの1981年に2人から3人へと増えたばかりだった。当然、外国人選手の不振や故障に備えるスペアという考え方もなかった。

西武はテリーと前年途中加入ながら打率.314、16本塁打と結果を残していたスティーブを起用する方針をとった。そのため前年に打率.276ながら35本塁打の成績を残していたタイロンを放出し、1979年ドラフト1位の右腕・名取和彦を獲得したのである。

しかし、名取は移籍後5試合に登板するも0勝1敗、防御率7.31と結果を残すことができなかったため、以降一軍での登板機会なく1983年に現役を引退。一方、南海に移籍したタイロンは、本塁打こそ18本に減らしたものの打率は.311と結果を出した。

このトレードだけ見ると南海に分があった。だがトレードの発端となった西武のテリーとスティーブはともに活躍し、1982年と1983年の連覇に大きく貢献している。名取は活躍できずも、タイロンを放出したことでテリーとスティーブを起用できたと考えれば、結果としては悪くなかった。

黒田正宏と片平晋作が西武で優勝に貢献

西武とソフトバンクの交換トレード,ⒸSPAIA


1982年には西武が山下律夫と山村善則の両投手を交換相手とし、黒田正宏と片平晋作を獲得した。黒田はこの年35歳になるベテラン捕手だったが、移籍初年度から大石友好と併用されながら70試合に出場。片平も一塁のレギュラーを獲得し、打率.277、14本塁打と結果を残した。両選手ともにリーグ優勝、日本一に大きく貢献している。

片平は翌1983年にダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を受賞、1985年には規定打席未到達ながら打率3割を超えた。1987年に大洋へ移籍するまで主力として活躍した。

一方で、南海に移籍した山下は移籍後わずか1勝にとどまり、同年に引退した。山村は規定打席には到達しなかったが、3度100試合以上に出場するなど活躍。1989年まで現役を続けている。

このトレードでは西武の利のほうが大きかった。

秋山幸二と佐々木誠が軸となった3対3の大型トレード

1994年に行われた球史に残る大型トレードが、秋山幸二、渡辺智男、内山智之(いずれも西武→ダイエー)と佐々木誠、村田勝喜、橋本武広(いずれもダイエー→西武)のトレードだ。

西武時代に9年連続30本塁打、8年連続2桁盗塁を記録していた秋山は、ダイエーに移籍した時点で32歳。打撃タイトルの獲得こそなかったが、ゴールデングラブ賞は4度受賞し強固な外野陣を支えた。2002年に現役を引退してからは解説者とコーチを経て、2009年にダイエーの後継球団であるソフトバンクの監督に就任。6年間で3度の優勝、2度の日本一をチームにもたらした。

渡辺は移籍初年度に4勝をあげるも以降は1勝もできず、1998年に金銭トレードで西武に復帰した。内山は在籍4年で先発と中継ぎの両役割で83試合に登板し、12勝を挙げた。結果を残せなかったわけではないが、秋山ほどではなかった。

一方で西武に移籍した当時29歳の佐々木は、2年前に首位打者と盗塁王を獲得していたこともあり、秋山以上の活躍を見込まれていた。その期待通り、移籍初年度から盗塁王のタイトルを獲得し、4年連続で規定打席にも到達した。しかし、翌98年は故障もあり75試合の出場にとどまると、オフにトレードで阪神へと移籍している。

移籍前は3年連続で2桁勝利をあげていた村田も移籍初年度は4勝、その翌年は未勝利で1996年に中日に移籍した。

佐々木、村田と比べると実績のなかった橋本だが、西武へ移籍後は中継ぎとして大きく開花。1995年から7年連続で55試合以上に登板し中継ぎを支えた。2002年途中に阪神へ移籍するまで西武で通算453試合に登板しており、2021年の時点で球団歴代7位の記録。この大型トレードで西武にもっとも多くをもたらしたのが、橋本だと言っても過言ではない。

西武とソフトバンク(ダイエー)の直近の交換トレードは28年前のこの大型トレードである。つまり親会社がソフトバンクに変わってからは1度も交換トレードが成立していないことになる。次に交換トレードが成立するのはいつの日になるのだろうか。

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