初のトレードは外国人選手絡み
昨シーズンのパ・リーグは西武が42年ぶりに最下位となり、ソフトバンクも8年ぶりのBクラスに沈んだ。調べてみると前身球団を含めて西武とソフトバンクが、同時にBクラスとなったのは1981年以来40年ぶりのことだった。
西武は1980年代から1990年代にかけて黄金期を築いた。一方でソフトバンクは2010年代に入ってから快進撃を続けており、わずか1年といえどもBクラスで交わることはなかった。そんな一時代を築いてきた両球団が交換トレードをした例は少ない。前身球団を含めこれまでに3例しかないのである。そのトレード3例を振り返ってみたい。
初めて交換トレードが成立したのは1981年のこと。シーズン開幕直前に西武が3人目の外国人選手として、前年までメジャーリーガー(ジャイアンツのレギュラー)だったテリーを補強した。
当時出場選手登録できる外国人選手、いわゆる外国人枠は2人だけ。また、支配下登録できる人数も現在のように無制限ではなく3人までで、それもこの1981年に2人から3人へと増えたばかりだった。当然、外国人選手の不振や故障に備えるスペアという考え方もなかった。
西武はテリーと前年途中加入ながら打率.314、16本塁打と結果を残していたスティーブを起用する方針をとった。そのため前年に打率.276ながら35本塁打の成績を残していたタイロンを放出し、1979年ドラフト1位の右腕・名取和彦を獲得したのである。
しかし、名取は移籍後5試合に登板するも0勝1敗、防御率7.31と結果を残すことができなかったため、以降一軍での登板機会なく1983年に現役を引退。一方、南海に移籍したタイロンは、本塁打こそ18本に減らしたものの打率は.311と結果を出した。
このトレードだけ見ると南海に分があった。だがトレードの発端となった西武のテリーとスティーブはともに活躍し、1982年と1983年の連覇に大きく貢献している。名取は活躍できずも、タイロンを放出したことでテリーとスティーブを起用できたと考えれば、結果としては悪くなかった。