トレード相手の小野和幸と平野謙ともに優勝に貢献
昨シーズン5位に終わった中日は新監督に立浪和義氏を迎え、今季巻き返しを図ろうとしている。立浪新監督は1987年ドラフト1位で中日に入団すると、1年目から遊撃手のレギュラーを奪い新人王を受賞。優勝に大きく貢献した。
そんな立浪監督のルーキーイヤーである1988年には、大きな補強があったことでも知られている。中日は平野謙を交換相手とし、西武から小野和幸を獲得したのだ。平野は前年こそ90試合の出場にとどまるも、1985年には打率3割も達成し、1986年には盗塁王にも輝いたバリバリの主力だった。
一方の小野は、2年連続で先発ローテーションに入り100回以上を投げていたものの、2桁勝利の経験はなく、実績では平野に大きく劣っていたと言わざるを得ない。だが33歳の平野に対し小野は26歳と7つ若かった。
その小野が移籍初年度にキャリアハイを大きく更新する18勝(4敗)を挙げ、最多勝、勝率.818で最高勝率のタイトルを獲得した。14個の貯金を作った小野は、ベストナインと最優秀投手も受賞している。しかし日本シリーズでは古巣の西武に打ち込まれ、翌年はわずか1勝。以降も故障に苦しみ目立った成績を残すことはできなかった。中日には6年間の在籍で23勝にとどまったが、優勝に大きく貢献したことは間違いない。
一方の平野は、移籍1年目から全130試合に出場して打率.303と結果を残し、西武でもレギュラーを獲得。小野同様、優勝に貢献している。その後もチームを支え、在籍6年で5度のリーグ優勝、4度の日本一を経験。西武の黄金時代を支えたメンバーのひとりだ。
ちなみに、両選手とも1993年に自由契約となり、1994年からロッテでチームメートとなっていた。
このトレードは両チームにとって実りがあったわけだが、その他に西武と中日の間では、どのような交換トレードが行われてきたのだろうか。振り返ってみたい。