元祖・安打製造機の榎本喜八は晩年に移籍
長いプロ野球の歴史において、ロッテと西武のトレード(交換および金銭)は6件。最近のトレードは2002年までさかのぼり、その他の5件はすべて1970年代だ。
まずは通算2,314安打をマークし、安打製造機の異名を最初に取ったと言われる榎本喜八。首位打者を2回、最多安打のタイトルは4回獲得。抜群の選球眼と打撃理論を誇り、球史にその名を刻む伝説の打者だ。
既に全盛期を過ぎていた1971年、村上公康とのトレードで、西武の前身である西鉄に移籍。主に代打での出場となり、出場61試合で打率.233と低迷。同年に現役を引退した。一方の村上は1973年からロッテの正捕手になると、1974年にはリーグ優勝と日本一に大きく貢献した。
通算2,000本安打の山崎裕之も西武へ移籍
プロ入り前は“長嶋二世”として注目を集め、鳴り物入りで東京(ロッテの前身)に入団。長らくチームの中心打者として活躍し、通算2,081安打を放った山崎裕之もトレードで西武へ移籍している。
山崎は西武移籍後も貴重な戦力として活躍し、規定打席未到達ながら打率.332をマーク。移籍2年目は規定打席に到達し、打率.294、25本塁打、77打点を挙げたほか、リーグトップとなる78個の四球を選んだ。1984年に現役を引退するが、1982年、1983年の連続リーグ優勝・日本一に貢献しており、その後長らく続く西武黄金時代の礎を作ったプレーヤーの一人と言える。
山崎とともに西武へ移籍した成重春生は、不振もあってわずか5試合の登板にとどまり、西武在籍わずか1年で今後は巨人へトレード移籍。巨人でも6試合の登板にとどまり、現役を引退した。ロッテではリリーバーとして活躍し、1974年の日本一にも貢献したが、移籍後に輝きを放つことはできなかった。
一方、山崎・成重との交換トレードで西武からロッテへ移籍したのが古賀正明と倉持明。古賀は20試合に登板して4勝(3敗)を挙げるも、わずか1年で巨人へ。巨人在籍も1年で終わり、大洋へ移籍。3年連続交換トレードで移籍するという珍しい野球人生を歩んだ。倉持明は以前ロッテに在籍しており、出戻りという形になった。1980年にはリーグ最多の18セーブをマークするなど、リリーバーとして活躍した。