1970年代には外国人選手のロペスをトレードで獲得
ヤクルトはパ・リーグの球団と積極的にトレードを行ってきた。現在チームに所属している選手では太田賢吾と高梨裕稔(ともに前日本ハム)がその最たる例だろう。その他にも近藤一樹(前オリックス)や今浪隆博(前日本ハム)に山中浩史(前ソフトバンク)らが戦力としてチームを支えたことは記憶に新しい。
また首脳陣を見ると出戻りではあるが宮出隆自二軍打撃コーチ(前楽天)や小野寺力二軍投手コーチ(前西武)もパ・リーグとのトレードを経てチームに加入した。
このようにパ・リーグの複数球団の在籍者が多くいることがわかるが、ロッテとのトレードで加わった選手や首脳陣が近年は見当たらない。しかしヤクルトとロッテの間にトレードがなかったわけではない。
1972年には2年連続で30試合以上に登板していた外山義明を交換相手とし、アルト・ロペスを獲得した。ロペスはロッテ(前身含む)で4年連続打率.280、20本塁打以上を記録していた中距離打者。しかし移籍初年度は14本塁打、その翌年も11本塁打にとどまり、ロッテ時代と同様の結果を残すことはできなかった。
一方の外山はヤクルト時代に2年連続30試合以上に登板していたが、ロッテではわずか4試合の登板で未勝利に終わり、翌年には南海へと移籍している。両チームともトレードで獲得した選手が期待値に届かなかった事例となった。
ギャオス内藤とのトレードで加入した青柳は代打の切り札に
1983年には西井哲生(ヤクルト→ロッテ)と倉持明(ロッテ→ヤクルト)のトレードが成立した。ロッテ時代の倉持は中継ぎとして活躍し、1979年から3年連続で30試合以上に登板。1980年にはリーグ最多の18セーブを挙げていたが、1982年はわずか9試合の登板にとどまっていた。
ヤクルト移籍後は17試合に登板するも0勝3敗でセーブは1つもなく、防御率4.73の成績に終わっている。ちなみにヤクルトは1970年のドラフトで倉持(当時日本鋼管)を指名(入団拒否)しており、13年越しの獲得だった。
西井はヤクルトで13年連続20試合以上に登板していた右腕。ロッテに移籍後も中継ぎとして活躍。4年の在籍で112試合に登板し9勝7敗11セーブの成績を残している。このトレードではロッテに分があった。
1995年には内藤尚行(ヤクルト→ロッテ)と青柳進(ロッテ→ヤクルト)がトレードされている。
ギャオスの愛称で親しまれた内藤は先発、中継ぎの両役割でチームに貢献。ヤクルト時代には2度の2桁勝利を記録し、2桁セーブも達成していた。ロッテでは1年半と短い在籍期間ではあったが、13試合に登板し3勝を挙げた。1996年シーズン途中に中日へ移籍している。
青柳はロッテでは併用されながら控え捕手として、4年連続50試合以上に出場していた。しかし移籍後は絶対的な捕手・古田敦也の存在もあり、出番を大きく減らす。それでも代打の切り札として活躍。1999年には代打打率.324(34打数11安打)、2本塁打、17打点の成績を残した。