吉井理人は現役晩年にトレード
長いプロ野球の歴史において、ロッテとオリックスのトレード(交換および金銭)は4件と少ない。それも2000年代に3件のトレードが行われており、最も古いトレードでも1998年だ。
印象的なのは、2007年6月に行われた吉井理人(オリックス)と平下晃司(ロッテ)の交換トレード。昨オフにロッテで新設されたピッチングコーディネーターを務める吉井は、42歳と現役生活の晩年を迎えていた。当時、ロッテの監督だったボビー・バレンタインとは、ニューヨーク・メッツ時代にも監督と選手という間柄であり、時を経てまさかの再会となった。
同年6月までに1勝(6敗)と大きく負け越しており、新天地で再起をはかりたかった吉井だが、結果は4試合に先発登板して0勝(3敗)。シーズン終了後には戦力外通告を受け、現役引退を決めた。
一方の平下は俊足が武器の外野手だったが、ロッテでレギュラーに定着することはできなかった。このトレードで古巣のオリックスへ復帰した後も一軍での出場機会を得られず、オフには戦力外通告を受けた。
早川大輔はトレードを機にブレイク
トレードを機に輝きを放ったのが、2006年11月に辻俊哉(ロッテ)と交換でロッテへ移籍した早川大輔だ。
オリックス時代は走塁と守備で一定の存在感は見せていたものの、2005年の87試合が最多だった。しかし、ロッテ移籍1年目の2007年は自己最多の133試合に出場し、キャリアハイの打率.283、5本塁打、44打点、16盗塁をマーク。TSUYOSHI(西岡剛)とともに塁上を賑わせた。同年は俊足を活かし、リーグ最多となる8本の三塁打も放っている。
翌2007年も前年と同じ133試合に出場し、18盗塁をマークするなど存在感を示したが、2009年は84試合の出場にとどまり、同年オフに横浜への金銭トレードが発表された。
一方の辻は、移籍前、里崎智也や橋本将が故障や不調の際に起用されるなど、2006年は自己最多の52試合に出場していた。だが、オリックスへの移籍1年目は12試合の出場にとどまり、以降も1軍でレギュラーの座をつかむことはできなかった。打撃力を買われ、代打や一塁手として出場機会を得ることもあったが、本塁打はプロ入り1年目に放った1本に終わっている。