柏原純一が阪神で復活し、その後コーチに就任
セ・リーグの優勝を争う阪神は今シーズン開幕後に2件のトレードを成立させた。そのひとつが日本ハムとの間で成立した谷川昌希(阪神→日本ハム)の金銭トレードだ。
阪神と日本ハムのトレードは2012年の若竹竜士(阪神→日本ハム)と今成亮太(日本ハム→阪神)以来9年ぶりと久しぶりのトレードだった。そんな両球団の間では過去にはどのようなトレードが成立していたのかを振り返ってみたい。
谷川と同じく金銭トレードでは1986年の柏原純一(日本ハム→阪神)の例がある。柏原は日本ハムで1978年から8年間に渡り主軸を務め、3度のベストナインにも輝いたバットマンだが、1985年は規定打席未到達に終わり打率.216(185打数40安打)と低迷していた。
しかし移籍初年度となった1986年は107試合の出場で規定打席未到達ながらも、打率.313(310打数97安打)、17本塁打と復活する。その後は目立った成績を残せず1988年に現役を引退したものの、1989年からは阪神でコーチに就任。金銭トレードの成功例と言えるだろう。
下柳剛は阪神で2度のリーグ優勝に貢献
交換トレードでも実績者の移籍があった。古いところでは1976年に村上雅則(マッシー村上)と後藤和昭が阪神から日本ハムへ移籍し、東田正義が日本ハムから阪神に加入している。
日本人メジャーリーガー第1号として知られる村上は南海の印象が強いかもしれないが、1974年に南海から阪神へ移籍し、1年間在籍している。阪神では18試合の登板で2勝1敗1セーブ、防御率5.12と苦しんだ。
しかし、移籍先の日本ハムでは中継ぎエースとして復活し、移籍初年度から5年連続で30試合以上に登板する活躍を見せた。1977年には61試合の登板で7勝4敗6セーブ、防御率2.33。翌1978年には57試合の登板で12勝11敗10セーブと、元メジャーリーガーの力をいかんなく発揮した。
一方、阪神に移籍した東田は移籍初年度の1976年に121試合に出場し、打率.247(352打数87安打)、12本塁打とまずまずの成績を残すも、翌1977年は57試合の出場にとどまり現役を引退した。
2003年は阪神から日本ハムへ伊達昌司と山田勝彦が移籍し、下柳剛と中村豊が日本ハムから阪神に加わった。下柳は日本ハム時代に中継ぎとしての起用が多かったが、阪神では先発に転向。移籍後は5度の2桁勝利を記録し、2003年と2005年のリーグ優勝に貢献している。
日本ハムへ移籍した伊達は、再びトレードでチームを離れているため2年間の在籍だったが、移籍初年度に51試合の登板で5勝1敗9セーブ、防御率2.60とキャリアハイの成績を残す。翌年も離脱はあったが19試合の登板で1勝0敗、防御率1.66と安定していた。