「南海3悪人」に鍛えられた野村監督
故・野村克也氏の命日は2020年2月11日、天国に旅立って、今日でちょうど2年となる。追悼の意を込めて、筆者が長年取材してきた中で見聞きした、野村監督にまつわるエピソードを紹介する。
野村監督が見初めて東映(現・日本ハム)から移籍させたのが、未勝利だった江本孟紀。プロ2年目・南海(現・ソフトバンク)1年目に16勝を挙げ、以来4年連続2ケタ勝利。一躍、南海のエースとなる。
「おいエモ。なんでお前ちゃんとバント処理をしないんや」
「足が長くて(身長188㎝)、打球を取りにかがむまで時間がかかるんです」
当時から「ああ言えばこういう」性格だった。のちに「ああ言えば交遊録」という本を上梓している。「ベンチがアホやから野球がでけへん」と、阪神時代に言い放った素地があった。野村が長髪を禁止したのに、長いもみあげ、長髪で反抗(?)した。
江本の交換トレードの相手が江夏豊(阪神)だった。野村が「リリーフ投手として球界に革命を起こしてみろ」という口説き文句でストッパーに転向させたのは有名な話だ。しかし「先発完投してこそ一流投手だ」の思いが強く、当初は説得する野村から、実に1か月も逃げ回っていた。
「ユタカ、麻雀ばかりやっていないで、オレの話を聞け」
「オレは麻雀の牌(パイ)より重い物は持ったことがないんだ」
言うに事欠いて、そんな憎まれ口まで叩いたそうだ。しかし、その後の「江夏の21球」をはじめ、ストッパーのパイオニアとなったのはご存じの通り。
広島は昭和50年代、10年間で4度優勝。古葉竹識監督、ブレイザーコーチ、江夏(79年MVP)、福士明夫(80年15勝)がノムラ南海から広島に移籍。「広島の第1期黄金時代」イコール「ノムラ野球」だったのだ。
門田博光は、王貞治(巨人)通算868本塁打・野村克也(南海ほか)657本塁打に続く日本歴代3位の567本塁打を放った。身長170㎝と小柄なのに本塁打ばかり狙って、フルスイングした。野村がたしなめても聞く耳を持たない門田を、オープン戦で王貞治に会わせる。
「ワンちゃん(王)はホームランを狙って打っているの?」
「そんなわけありません。ヒットの延長がホームランですよ。ノムさんこそ狙っているの?」
「この門田が言っても聞かないんだよ。ほら門田、ワンちゃんだって、ああ言っているぞ」
「嘘だ。野村監督と王さんは口裏を合わせているんだ」
「もう……、勝手にせい!」
野村は試しに真逆のことを言ってみた。「門田、もっとブリブリ振り回していいんだぞ」。へそ曲がりの門田は、以後、コンパクトにバットを振るようになった。
晩年の野村、江本の対談の席のこと。
「江本よ。ワシはお前ら、南海3悪人に監督として鍛えられたよ。それを思えば山﨑武司(楽天)あたりが我がままを言っても可愛いもんだった」
「でも野村監督、鶴岡一人監督に言わせれば「野村、杉浦忠(通算184勝エース)、広瀬叔功(通算596盗塁)が『初代南海3悪人』だったそうですね(笑)」
野村は痛いところを突かれて黙ってしまった。