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高校野球都道府県別代表校の夏の甲子園最高成績【大阪編】

2020 8/3 06:00SPAIA編集部
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平古場昭二、尾崎行雄のいた浪商が全国制覇

故郷の代表校の、夏の甲子園での最高成績をご存知だろうか。何度も全国制覇した都道府県もあれば、頂点に届きそうで届かない都道府県もある。そこで夏の甲子園での最高成績を都道府県別に紹介する。まずは全国最多14回の優勝を誇る大阪から。

夏の甲子園の大阪代表最高成績

全国最多の優勝回数を誇る大阪だが、意外に戦前は優勝しておらず、1916年の第2回大会で市岡中が準優勝したのが最高だった。

大阪代表が初めて夏の頂点に立ったのは終戦翌年の1946年。甲子園が米軍に接収されていたため西宮球場で行われた第28回大会の浪華商(現大体大浪商)だった。

1937年センバツでも優勝した強豪は、和歌山中に11-2、函館中に6-0で快勝し、準決勝の東京高等師範付(現筑波大付)戦では左腕エース平古場昭二が19奪三振の大会タイ記録をマーク。決勝でも第1回大会覇者の京都二中(現鳥羽)を破り、初めて深紅の優勝旗を手にした。

大阪勢2度目の優勝も浪商だった。1961年、2年生エース尾崎行雄擁する浪商は、浜松商に1-0、銚子商に2-1、中京商に14-0と勝ち進み、準決勝で前年夏、同年春と2連敗していた柴田勲(元巨人)のいた法政二と対戦。延長11回の激闘の末、ついに「三度目の正直」で宿敵を破り、決勝では桐蔭(和歌山)に1-0で勝って15年ぶりの優勝を果たした。

浪商に続いて明星、興国が記念大会で優勝

浪商に次いで夏の頂点に立ったのが2年後の明星だった。1963年の第45回記念大会、40年ぶりの出場を果たした明星は大垣商に6-0、甲府商に11-0、九州学院に4-3、横浜に5-0と勝ち進み、決勝の相手は池永正明のいた下関商。同年センバツ1回戦で敗れた相手で、その大会で優勝した下関商は、前年の作新学院に続く春夏連覇が目前だった。

しかし、春のリベンジに燃える明星が初回に2点を先制し、そのままリードを守り切って2-1で初の全国制覇。4番・捕手だった和田徹は卒業後にプロ入りし、阪神、南海で活躍した。

さらにその5年後、1968年の第50回記念大会で初出場初優勝を果たしたのが興国だ。同年センバツで初戦敗退した悔しさを晴らすべく、金沢桜丘に5-0、飯塚商に1-0、星林に2-0、三重に5-1、興南に14-0と快進撃。決勝は後に巨人などで活躍する新浦寿夫擁する静岡商に1-0で完封勝ちし、夏初出場で見事に頂点に立った。

PL黄金時代に突入

1970年代に入ると、大阪の中でも少しずつ勢力地図が塗り替わっていく。興国の優勝から10年後の1978年、第60回記念大会を制したのがPL学園だった。

ともにプロで活躍する西田真二と木戸克彦のバッテリーを中心に、初戦で日川を5-2で下すと、熊本工大高に2-0、県岐阜商にも1-0と完封勝ち。中京との準決勝は、9回表まで0-4でリードを許しながら9回裏に追いつき、延長12回に5-4でサヨナラ勝ちを収めた。

さらに高知商との決勝では0-2の9回裏に3点を奪って逆転サヨナラ。連日のサヨナラ勝利で「逆転のPL」と呼ばれた。PLにとっては春夏通じて初の全国制覇で、その後の黄金時代へとつながっていく。

1983年、桑田真澄、清原和博のKKコンビが颯爽と甲子園に現れた。所沢商に6-2、中津工に7-0、東海大一に6-2、高知商に10-9と勝ち進み、準決勝は夏春夏の3連覇を目指していた池田。1年生の桑田が「やまびこ打線」を封じ、打線は水野雄仁から7点を奪う猛攻で、優勝候補を蹴散らした。

決勝では清原の甲子園第1号などで横浜商の長身右腕・三浦将明から3点を奪って優勝。KKコンビの黄金伝説の始まりだった。

2年の春夏はいずれも準優勝。3年春はベスト4どまりで迎えた最後の夏。1985年の第67回大会は、初戦の東海大山形戦で29-7という歴史的大勝でスタートした。続く津久見戦は3-0、準々決勝は、卒業後にドラフト1位で大洋入りする中山裕章のいた高知商に6-3、準決勝では旋風を巻き起こしていた甲西に15-2と大勝し、決勝に進んだ。

決勝では宇部商に先制を許したが、清原の2本塁打で追いつき、3-3で迎えた9回裏、主将・松山秀明のサヨナラ打で劇的な優勝。KKコンビは有終の美を飾った。

さらにその2年後の1987年、PLは史上4校目の春夏連覇を果たす。立浪和義、片岡篤史,、野村弘樹、橋本清、宮本慎也というそうそうたるメンバーで、まさに「最強」の名を欲しいままにした。

大阪桐蔭と履正社の2強時代

今では全国屈指の強豪となった大阪桐蔭が、初出場初優勝したのが1991年の第73回大会だった。樹徳に11-3、秋田に4-3、帝京に11-2、星稜に7-1と勝ち上がり、決勝では沖縄県勢初優勝を狙う沖縄水産に13-8。優勝の原動力となった4番の萩原誠は、卒業後にドラフト1位で阪神入りした。

しかし、その後、大阪桐蔭はしばらく甲子園から遠ざかり、無類の強さを発揮するのは2000年代に入ってからだ。

5度目の夏の甲子園となった2008年の第90回大会、浅村栄斗(現楽天)らの活躍で2度目の優勝を果たすと、2012年には藤浪晋太郎(現阪神)―森友哉(現西武)のバッテリーで春夏連覇。決勝では春夏連続で北條史也(現阪神)、田村龍弘(現ロッテ)のいた光星学院(現八戸学院光星)を下した。

さらに2014年にも優勝すると、2018年には史上初となる2度目の春夏連覇を達成。前年のセンバツも優勝し、卒業後に根尾昂(現中日)、藤原恭大(現ロッテ)、横川凱(現巨人)、柿木蓮(現日本ハム)の4人がプロ入りしたメンバーは「最強世代」と呼ばれた。

記憶に新しい2019年は履正社が初優勝を飾った。決勝では卒業後にヤクルトにドラフト1位で入団する星稜の奥川恭伸から5点を奪う快勝。同年センバツ1回戦で完封負けした相手に夏の決勝でリベンジして優勝したのは、1963年の明星と全く同じ足取りだった。

センバツで2度の準優勝が最高だった履正社は、悲願の全国制覇。大阪は長らく大阪桐蔭と履正社の2強時代が続いている。

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