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高校野球都道府県別代表校の夏の甲子園最高成績【鳥取、島根、山口編】

2020 8/20 06:00SPAIA編集部
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鳥取中と米子東が計5度のベスト4

故郷の代表校の、夏の甲子園での最高成績をご存知だろうか。何度も全国制覇した都道府県もあれば、頂点に届きそうで届かない都道府県もある。そこで夏の甲子園での最高成績を都道府県別に紹介する。今回はベスト4が5回の鳥取県、ベスト4が3回の島根県、優勝1回の山口県。

夏の甲子園の鳥取代表最高成績

鳥取県勢はセンバツでは米子東が1960年に準優勝しているが、夏は5度のベスト4が最高だ。第1回大会でベスト8だった鳥取中(現鳥取西)は1916年の第2回大会、初戦で和歌山中(現桐蔭)に1-2で敗れたが、敗者復活制の恩恵を受け、準々決勝で中学明善に9-6で勝って4強入りした。準決勝は市岡中に延長10回4-5で敗れた。

2度目のベスト4は1920年。鳥取中は豊国中(現豊国学園)を6-2、京都一商(現西京)を2-0で下して4強入りした。準決勝では関西学院中に3-14で敗れた。

3度目は初めて甲子園で開かれた1924年の第10回大会。校名変更した鳥取一中は京城中、同志社中、宇都宮中を破って準決勝に進出したが、松本商(現松商学園)に3-9で敗れ、またも決勝進出を逃した。

さらにその5年後の1929年にも4度目となるベスト4入りを果たすが、準決勝で広島商に1-5で敗れた。

戦後唯一の4強入りを果たしたのが米子東だ。1956年の第36回大会、初戦で別府鶴見丘を1-0で下すと、準々決勝の相手は同年センバツ優勝の中京商(現中京大中京)。息詰まる投手戦となったが、8回に3点を奪った米子東が3-0で優勝候補を破った。

準決勝は岐阜商に延長10回サヨナラ負けしたが、地元を大いに沸かせたベスト4だった。その後、米子東は1960年のセンバツで準優勝しており、春夏通じて鳥取県勢の最高成績となっている。

島根は江の川が80年ぶりなど3度のベスト4

島根県勢は3度のベスト4が最高成績だ。

夏の甲子園の島根代表最高成績

1917年の第3回大会。杵築中(現大社)は長崎中に6-3、長野師範には9回裏に2点差を追いつき、延長10回4-3でサヨナラ勝ちし、4強入りした。準決勝では優勝した愛知一中に2-3で敗れた。その後、大社は春2回、夏8回出場しているが、ベスト4に入ったはこの年だけだ。

島根県勢2度目の4強入りは1923年の第9回大会。初出場の松江中(現松江北)は仙台一中に9-3、函館商を5-4で下して準決勝進出。和歌山中(現桐蔭)に3-7で敗れて決勝進出はならなかった。松江北は2002年センバツに21世紀枠で55年ぶりに出場している。

その後、あらゆる高校が全国の壁にはね返され、県勢3度目のベスト4は2003年まで待たなければならなかった。第85回大会、6回目の出場となった江の川(現石見智翠館)は中越に2-0、沖縄尚学に1-0と左腕・木野下優が連続完封。準々決勝の聖望学園戦は2-1でサヨナラ勝ちし、谷繁元信(元中日監督)を擁した1988年を超える準決勝進出を決めた。

初の決勝をかけた東北戦は、注目右腕・ダルビッシュ有(現カブス)が登板しなかったものの1-6で敗戦。それでも80年ぶりのベスト4入りを果たし、島根の高校球史に名を刻んだ。

山口は柳井が1958年に優勝

山口県勢は柳井が1958年に優勝している。

夏の甲子園の山口代表最高成績

第40回記念大会は、アメリカ統治下だった沖縄から首里が初出場するなど47代表校が集った。柳井は札幌商に2-0、鳥取西に1-0、大淀に4-3、海南に4-3、高知商に1-0と勝ち進み、決勝はこの大会で83奪三振の新記録を樹立したエース板東英二擁する徳島商。2回に3点を先制すると、その後も加点し、7-0で初優勝を決めた。

柳井はその後、1972年に準優勝したが、1984年を最後に甲子園から遠ざかっている。また山口県勢は柳井のほかに下関商(2度)、早鞆、防府商、宇部商が計6度の準優勝。センバツでは下関商が1963年に優勝している。

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