「奇跡のバックホーム」で優勝を阻まれた熊本工
故郷の代表校の、夏の甲子園での最高成績をご存知だろうか。何度も全国制覇した都道府県もあれば、頂点に届きそうで届かない都道府県もある。そこで夏の甲子園での最高成績を都道府県別に紹介する。今回は準優勝3回の熊本県、優勝1回の大分県、準優勝1回の宮崎県、準優勝1回の鹿児島県、優勝1回の沖縄県。
熊本はセンバツでは1958年に済々黌が優勝したが、夏は優勝していない。熊本工の3度の準優勝が最高成績だ。
初めて決勝進出したのは1934年の第20回大会。後に「打撃の神様」と呼ばれ、巨人V9時代の監督を務めた川上哲治がまだ14歳だった。小倉工に8-4、鳥取一中(現鳥取西)に8-1、高松中に5-1、市岡中に4-0と勝ち進んだが、決勝では、後にプロ入りして「ミスタータイガース」と呼ばれる藤村富美男擁する呉港中に0-2で敗れた。
2度目は3年後の1937年。エース川上と、後に川上とともに巨人入りする吉原正喜のバッテリーで勝ち上がり、決勝で中京商と対戦。後にプロで237勝を挙げる野口二郎を打ち崩せず、1-3で敗れた。中京商は翌年センバツも制して夏春連覇を果たした。
3度目の準優勝は1996年の第78回大会。名場面として語り継がれる「奇跡のバックホーム」で松山商に敗れた、あの年だ。山梨学院大付、高松商、波佐見、前橋工を破って決勝進出したが、悲願の初優勝はまさしく「タッチの差」で届かなかった。
大分は1972年に津久見が全国制覇
大分県勢では津久見が1972年に優勝している。1967年センバツに続く全国制覇だった。
鹿児島商を3-2、苫小牧工を13-1、明星を1-0、天理を5-3で下すと、決勝は柳井に3-1で快勝。エース水江正臣は同年ドラフト6位でヤクルト入り、一塁手の中川信秀は同7位で太平洋入りした。
大分県勢はその後、1976年春に日田林工、1994年夏に柳ヶ浦、2019年春に明豊がベスト4に進んだが、決勝には進出していない。
宮崎は延岡学園が準優勝
宮崎県勢は延岡学園の準優勝が最高だ。
2013年の第95回大会。7回目の出場となった延岡学園は自由ケ丘に4-2、弘前学院聖愛に10-0、富山一に5-4、花巻東に2-0と勝ち進み、決勝の相手は2年生エース髙橋光成(現西武)を擁して勝ち上がってきた前橋育英だった。
試合は4回裏に3点を先制したが、5回表に同点に追いつかれ、7回に勝ち越し点を献上。結局3-4で初優勝はならなかった。
あと一歩で満塁弾に散った樟南の夢
鹿児島県勢の最高成績は1994年、樟南の準優勝だ。
鹿児島商工から校名変更して初めて出場した第76回大会。福岡真一郎-田村恵(元広島)のバッテリーを中心とした樟南は秋田、双葉、長崎北陽台、柳ヶ浦を破って決勝に進出した。
相手は同じく初優勝を狙う佐賀商。樟南が得点すれば佐賀商が追い付く展開となり、4-4で迎えた9回表、満塁のピンチで福岡は佐賀商の西原正勝に左翼席に放り込まれる。まさかの満塁被弾で全国制覇の夢は潰えた。
鹿児島県勢はセンバツでは鹿児島実が1996年に優勝、神村学園が2005年に準優勝している。