福嶋一雄の力投で小倉が連覇
故郷の代表校の、夏の甲子園での最高成績をご存知だろうか。何度も全国制覇した都道府県もあれば、頂点に届きそうで届かない都道府県もある。そこで夏の甲子園での最高成績を都道府県別に紹介する。今回は全国9位タイの4回の優勝を誇る福岡県、優勝2回の佐賀県、ベスト4が3回の長崎県。
第1回大会から久留米商が出場するなど「野球どころ」として名高い福岡県。初めての全国制覇は1947年の小倉中だった。
神戸一中に9-3、桐生中に3-0、志度商に6-1、成田中に5-1と勝ち進み、決勝では岐阜商に6-3と快勝。2013年に野球殿堂入りしたエース福嶋一雄の力投で、同年センバツで準優勝に終わった悔しさを晴らし、優勝旗が初めて関門海峡を越えた。
学制改革により「全国中等学校優勝野球大会」から「全国高等学校野球選手権大会」になった翌1948年、小倉が再び快進撃を見せる。
初戦の丸亀戦を1-0で完封勝ちすると、続く大分二戦は12-0で大勝、準々決勝の関西戦は6-0、準決勝の岐阜一戦は4-0、決勝の桐蔭戦も1-0と全5戦を完封勝利。エース福嶋は海草中の嶋清一に並ぶ45イニング連続無失点を記録し、夏2連覇を果たした。
炭鉱の街を沸かせた三池工、森尾和貴が4完封した西日本短大付
福岡県勢として3回目の優勝を果たしたのが1965年の三池工だ。原辰徳現巨人監督の父・貢氏に率いられて初出場すると、高松商に2-1、東海大一に11-1、報徳学園に3-2、秋田に4-3と勝ち進み、決勝では後にロッテで活躍する木樽正明擁する銚子商に2-0で勝ち、栄冠をつかんだ。
工業高校として史上初の優勝は、爆発事故や石炭から石油へのエネルギー革命によって活気を失っていた炭鉱の街に灯った希望の光だった。
4回目の優勝が1992年の西日本短大付。星稜・松井秀喜が5打席連続敬遠された大会だ。初戦の高岡商を2-0で下すと、三重を3-0、北陸を6-1、東邦を4-0、決勝の拓大広陵戦も1-0と、エース森尾和貴が4完封。5試合を一人で投げ抜き、頂点に立った。
満塁本塁打で決めた佐賀商、佐賀北
佐賀県勢も2回の優勝を誇る。初優勝は1994年の第76回大会の佐賀商だった。
開会式直後の第1試合で浜松工を6-2で下して波に乗ると、2回戦は関西を6-1、3回戦は那覇商を2-1、準々決勝は北海を6-3、準決勝は佐久に3-2でサヨナラ勝ちし、佐賀県勢として春夏通じて初めての決勝進出を決めた。
相手は同じ九州、鹿児島の優勝候補・樟南。2回に3点を先制されたが、8回に追いつき、4-4の同点で迎えた9回にドラマが起きる。2死満塁のチャンスで打席に立った西原正勝が初球を強振すると、打球はグングン伸びて左中間スタンドへ。値千金の満塁本塁打で初の栄冠をつかんだ。
県勢2回目の優勝も満塁本塁打で決めた。2007年の佐賀北は、1994年の佐賀商と同じく開幕戦で福井商に2-0で勝つと、宇治山田商との延長15回引き分け再試合を9-1で制し、前橋商を5-2、帝京を4-3(延長13回サヨナラ)、長崎日大を3-0で撃破。決勝は悲願の夏初優勝を目指す広陵との対戦となった。
戦前の予想は、ともに現在もプロで活躍中の野村祐輔(現広島)と小林誠司(現巨人)のバッテリーで勝ち上がってきた広陵が有利。試合も終盤まで広陵が4-0でリードし、実力差を見せつけられるような展開となった。
しかし、8回、満塁から押し出しで1点を返すと、甲子園全体が押せ押せムードになり、続く副島浩史が放った打球はきれいな放物線を描いて満員のレフトスタンドへ。逆転満塁本塁打で5-4とし、佐賀商以来13年ぶりに佐賀県勢が全国制覇を果たした。