和歌山中と海草中がそれぞれ連覇
故郷の代表校の、夏の甲子園での最高成績をご存知だろうか。何度も全国制覇した都道府県もあれば、頂点に届きそうで届かない都道府県もある。そこで夏の甲子園での最高成績を都道府県別に紹介する。今回は全国3位タイの優勝7回の和歌山県、優勝2回の奈良県、優勝1回の三重県。
和歌山中(現桐蔭)が第1回大会から14年連続出場を果たすなど戦前から野球王国として知られた和歌山県。1921年、22年の第7回、第8回大会で連覇を果たしたのが和歌山中だ。
神戸一中に20-0、釜山商に21-1、豊国中に18-2と一方的なスコアで勝ち上がり、決勝も京都一商に16-4と大勝。現在も大会記録となっている4試合で75得点という猛打で初の全国制覇を果たした。
翌1922年もエース井口新次郎が投打に活躍し、無敵の進撃を見せる。早稲田実を8-0、立命館中を4-1、松本商を2-1で下し、決勝の相手は、後にプロ入りして山本昌が更新するまで48歳10カ月の史上最高齢公式戦出場記録を持っていた浜崎真二擁する神戸商。7回終了時点で0-4とリードされていたが、8回に5点を奪って逆転し、結局8-4で連覇を遂げた。
和歌山中はこの連覇のほか、準優勝も3回(桐蔭時代にも2回)、センバツでも優勝1回、準優勝1回を記録するなど、戦前は甲子園の常連だった。第1回大会から出場を続ける皆勤校としても知られ、2015年センバツに21世紀枠で53年ぶり出場を果たしている。
和歌山県勢でもう1校、夏の甲子園を連覇したのが海草中(現向陽)だ。1939年、左腕エース嶋清一を擁して嘉義中に5-0、京都商に5-0、米子中に3-0と勝ち進み、準決勝の島田商戦(8-0)、決勝の下関商戦(5-0)で嶋が2試合連続ノーヒットノーラン。全5試合完封の離れ業で初めて頂点に立った。
嶋が卒業した翌1940年は、後にプロで178勝を挙げる真田重蔵を中心に勝ち進んだ。平壌一中を2-1、京都商を4-3(延長12回)、松本商を3-1で下し、決勝は2-1で島田商に勝利。連覇を果たすとともに和歌山県勢として4回目の優勝となった。