春は1995年の市岡、夏は1990年の渋谷が最後
夏の甲子園が中止になり、全国各地で独自の地方大会が開催されている。今春センバツに出場予定だった32校は、8月10日から始まる2020年甲子園高校野球交流試合に招待されているが、それ以外の高校3年生にとっては地方大会が最後。3年間の集大成となる。
全国屈指の激戦区・大阪でも7月18日から独自大会が始まる。すでに組み合わせは決定しており、甲子園交流試合で東海大相模(神奈川)と対戦する大阪桐蔭は26日に吹田と槻の木の勝者と、同じく星稜(石川)と対戦する昨夏全国覇者の履正社は22日に北かわち皐が丘と初戦を迎える。
ここ10年、2強を中心とした勢力地図に変わりはないが、それ以前も大阪は私立校が圧倒的に強い。1960年代から70年代にかけて「私学7強」と呼ばれた興国、明星、PL学園、浪商(現大体大浪商)、北陽(現関大北陽)、近大付、大鉄(現阪南大高)がしのぎを削った。
その後、PL学園が黄金時代を迎え、上宮が台頭、さらに上宮太子や東海大仰星、浪速、金光大阪、東大阪大柏原なども甲子園に出場している。
公立校の甲子園出場は1995年センバツの市岡を最後に25年遠ざかっている。夏に限れば、1990年に中村紀洋(元近鉄など)が2年生だった渋谷が出場した30年前までさかのぼらなければならない。
しかし、1950年代までは公立校が多数出場していた。改めて振り返ってみよう。
最多出場は春夏計21回の市岡、2位は10回出場の八尾
甲子園最多出場はセンバツ11回、選手権10回を数える市岡。1901年創立、野球部は1906年に創部された伝統校で、1916年の第2回選手権では決勝で慶応普通部に敗れたものの準優勝した。
大阪市内では北野、天王寺に続いて3番目にできた旧制中学だったため、帽子に三本線が入っている。野球部OBには高野連会長を務めた佐伯達夫や元朝日新聞社社長で全日本アマチュア野球連盟会長も務めた広岡知男らがいる。
市岡に次いで多いのが八尾。センバツに6回、選手権に4回出場している古豪だ。1952年の選手権では、決勝で芦屋に敗れたものの準優勝。当時のエースだった木村保は早大を経て南海に入団し、1957年に21勝を挙げて新人王に輝いた。巨人で背番号4が永久欠番となっている黒沢俊夫も同校OBだ。
3位はセンバツ5回、選手権1回の日新。いずれも戦前の日新商時代の出場で、東京オリオンズで監督を務めた本堂保次や南海時代の1953年にベストナインにも輝いた堀井数男らは日新商からプロに進んだ。
北野は大阪の公立で唯一の全国優勝、春夏連続で王貞治に屈した寝屋川
4位はセンバツ4回、選手権1回出場の北野。大阪屈指の進学校としても知られ、1949年センバツでは大阪の公立校として唯一の全国制覇を果たしている。戦前に東京セネタースなどで通算63勝を挙げた浅岡三郎らを輩出している。
芦間高校は京阪商時代にセンバツ1回、選手権に3回出場。国鉄などで通算720安打をマークした佐竹一雄らプロ野球選手を輩出している。
6位はセンバツ2回、選手権1回出場の寝屋川。1957年に春夏連続出場し、いずれも王貞治のいた早稲田実に敗れた高校として有名だ。夏は1回戦で敦賀に勝ったが、2回戦で王にノーヒットノーランを喫した。
計2回の甲子園出場が天王寺、泉陽、三国丘、扇町総合の4校。センバツ1回のみの出場が今宮、富田林、阿倍野、桜宮の4校、選手権1回のみの出場が豊中、高津、泉大津、都島工、春日丘、渋谷の6校となっている。
私立勢が甲子園を独占している大阪だが、2017年には大冠が決勝進出し、大阪桐蔭と8-10の大接戦を演じるなど公立勢が上位にくい込む年もある。18日に開幕する大阪大会では公立勢の健闘が見られるか楽しみだ。
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