駒大苫小牧が北海道勢初優勝から2連覇
故郷の代表校の、夏の甲子園での最高成績をご存知だろうか。何度も全国制覇した都道府県もあれば、頂点に届きそうで届かない都道府県もある。そこで夏の甲子園での最高成績を都道府県別に紹介する。今回は優勝2回の北海道、準優勝3回の青森県、ベスト4が4回の岩手県、準優勝2回の秋田県。
2004年までは第1回大会から80年以上も北海道と東北勢の優勝がなく、「優勝旗が白河の関(福島県白河市)を越えるのはいつの日か」とたびたび言われていたが、白河の関どころか一気に津軽海峡を越えて大旗を持ち帰ったのが、第86回大会の駒大苫小牧だった。
4回目の出場となった夏の甲子園で佐世保実、日大三、横浜、東海大甲府を破って決勝進出。決勝では、後にプロ入りする福井優也、鵜久森淳志を擁してセンバツ優勝した済美を13-10で下し、北海道勢悲願の初優勝を果たした。
さらに翌2005年も聖心ウルスラ、日本航空、鳴門工、大阪桐蔭を破り、決勝では京都外大西に5-3で勝利。1947、48年の小倉以来となる2連覇を果たし、背番号11を背負った2年生の田中将大(現ヤンキース)が、マウンド上で雄叫びを上げた。
3連覇を狙った翌2006年は決勝で早稲田実に敗れて準優勝。その後、2015年センバツで東海大四が、2016年夏は北海が準優勝するなど、北海道勢は好成績を残している。ちなみに北北海道代表に限定すれば、1995年の旭川実のベスト8が最高成績。
フィーバー巻き起こした三沢、3季連続準優勝の光星学院
青森県代表で最も印象深いのは1969年の三沢ではないだろうか。
エース太田幸司を擁して前年夏、同年春に続く3季連続の甲子園。大分商、明星、平安(現龍谷大平安)、玉島商を破って決勝進出すると、松山商との決勝は球史に残る名勝負となった。
相手のエース井上明と太田の投げ合いで、両校無得点のまま延長18回引き分け。翌日の再試合は2-4で敗れた。色白で甘いマスクの太田は悲劇のヒーローとなり、アイドル的人気が急上昇。同年ドラフト1位で近鉄から指名され、プロで通算58勝を挙げた。
光星学院(現八戸学院光星)は2011年から3季連続で準優勝した。2011年の第93回大会、田村龍弘(現ロッテ)、北條史也(現阪神)の3、4番を中心に勝ち進み、青森県勢として三沢以来42年ぶりの決勝進出。日大三に0-11と完敗したが、堂々の準優勝を飾った。
翌2012年は藤浪晋太郎(現阪神)を擁する大阪桐蔭に春夏連続決勝で敗退。全国でも屈指の実力を誇りながら、優勝旗にはあと一歩届かなかった。
岩手は菊池雄星の花巻東など4度のベスト4
岩手県勢は盛岡中(現盛岡第一)と花巻東のベスト4が最高だ。
盛岡中は1917年の第3回大会、香川商(現高松商)に5-1、慶應普通部に2-1で勝利しベスト4入り。準決勝で関西学院中に0-1で敗れた。
2回目は2年後の1919年。同志社中に4-3、松山商に1-0で4強入りしたが、準決勝で神戸一中に0-8で完封負けした。
盛岡中は戦前に5回、盛岡、盛岡第一と校名変更した戦後にも4回、夏の甲子園に出場しているが、1978年を最後に遠ざかっている。
県勢3回目の4強入りは2009年の花巻東。菊池雄星(現マリナーズ)を擁して同年センバツで準優勝し、注目を集めた夏だった。
長崎日大を8-5、横浜隼人を4-1、東北を4-1で下し、準々決勝は今宮健太(現ソフトバンク)のいた明豊を7-6で撃破。しかし、肋骨を骨折していた菊池は準決勝で先発できず、堂林翔太(現広島)擁する中京大中京に1-11と大敗。菊池は悔し涙にくれた。
2013年は彦根東に9-5、済美に7-6(延長10回)、鳴門に5-4と勝ち進んだが、準決勝で延岡学園に0-2で敗れた。