国内移籍は石毛宏典、工藤公康から炭谷銀仁朗まで15人
プロ野球のFA権取得は選手にとって大きな勲章だ。権利を行使して移籍することは野球人生においてターニングポイントになり得る重大な決断である一方、出ていかれる球団にとっては戦力ダウンとなり痛手であることも確かだ。
これまでFAで最も多く流出した球団は19人の西武。FA選手の獲得は3人だけだが、出ていった選手は12球団最多となっている。今回は西武からFA移籍した選手を振り返ってみたい。

移籍した内訳は国内が15人、海外が4人。国内他球団に移籍したのは下記の通りだ。
1994年オフ 石毛宏典 →ダイエー
1994年オフ 工藤公康 →ダイエー
1996年オフ 清原和博 →巨人
2005年オフ 豊田清 →巨人
2007年オフ 和田一浩 →中日
2010年オフ 細川亨 →ソフトバンク
2011年オフ 帆足和幸 →ソフトバンク
2011年オフ 許銘傑 →オリックス
2013年オフ 涌井秀章 →ロッテ
2013年オフ 片岡治大 →巨人
2015年オフ 脇谷亮太 →巨人
2016年オフ 岸孝之 →楽天
2017年オフ 野上亮磨 →巨人
2018年オフ 浅村栄斗 →楽天
2018年オフ 炭谷銀仁朗 →巨人
初めてのメジャー移籍は松井稼頭央
西武から初めてメジャー挑戦したのは2003年オフの松井稼頭央だった。

PL学園から1993年ドラフト3位で入団した松井は、1997年から3年連続盗塁王、2002年にはトリプルスリーをマークするなど俊足強打のスイッチヒッターとして活躍。2003年オフにFA宣言してメッツ入りすると、2004年開幕戦でMLB史上初の新人初打席初球本塁打を放つ衝撃デビューを飾った。
2006年シーズン中にロッキーズ、2008年からアストロズ、2010年シーズン中にロッキーズ3Aと移り、MLB通算7年で630試合に出場、打率.267、32本塁打、211打点の成績を残した。
2011年から楽天に移籍し、西武に復帰した2018年に引退。日米通算2705安打、535二塁打、465盗塁をマークした。現在は西武の二軍監督を務めている。
夢の舞台には立てなかったが、土肥義弘もFA宣言してメジャー挑戦した一人だ。プリンスホテルから1997年ドラフト4位で西武に入団し、2004年に横浜移籍。2009年から西武に復帰し、2010年オフにFA宣言した。
渡米して合同トライアウトを受けたが契約に至らず、米独立リーグ入りも登板なし。約1年後の2012年1月にオリオールズとマイナー契約したが3月に解雇され、同年6月にはハワイのチームでプレーした。