いつかは巨人!?獲得人数は2位ソフトバンクの2倍
プロ野球シーズンオフの話題であるはずのFA戦線が、今年は早くも取り沙汰されている。最大の目玉と見られるヤクルト・山田哲人が国内FA権を取得。他にも5試合連続完投を継続中の中日・大野雄大やノーヒットノーランを達成したヤクルト・小川泰弘ら今オフの動向が注目される選手が多い。
これまでFA選手を最も多く獲得したのは巨人。2位ソフトバンクの13人の2倍、26人もの選手を獲得している。「金満補強」などと揶揄されることもあるが、それだけ球界内で希望する選手が多いこともまた事実だ。

リーグ別に見ると、セ・リーグは阪神が12人、DeNAが9人、中日7人、ヤクルト4人で、計58人。パ・リーグはソフトバンクに続くのがオリックス6人、楽天とロッテが各5人、西武3人、日本ハム2人、近鉄1人の計35人。FA戦線には参入しない広島が0人にもかかわらず、セ・リーグの方が圧倒的に多い。要因は様々あるが、選ぶ選手側からすれば「人気」や「ブランド」といった要素も少なからずあるだろう。
かつて、車好きの男性がマイカーを乗り替えていく過程を表現した「いつかはクラウン」というキャッチコピーが流行ったが、球界でも「いつかは巨人」と考える選手がいても何ら不思議ではない。
落合博満、広沢克己と相次いで大砲が加入
長年の活躍の見返りとして得られるFA権。行使するか否か、行使すればどの球団を選ぶか、人生のターニングポイントとなるだけに誰もが悩み、考える。では、晴れて巨人入りした選手はその後、どのような野球人生を送っているのだろうか。野手から見ていこう。

初めてFAで巨人入りしたのが落合博満。ロッテから中日に移籍して7年が経過した1993年オフ、導入されたばかりのFA権を行使。長嶋茂雄監督率いる巨人のユニフォームに袖を通した。在籍3年で通算打率.296、53本塁打、219打点と全盛期に比べると物足りない成績に終わり、1996年オフにFAで加入してきた清原和博と入れ替わりで日本ハムに移籍した。
落合の翌年に加入したのが広沢克己。移籍1年目は20本塁打72打点を挙げたが、5年目は故障のため16試合出場にとどまり1999年オフに阪神移籍した。巨人と阪神で4番を務めた初めての打者となった。
清原和博は9年で185本塁打も戦力外
1996年オフに加入したのが清原和博。西武のスターを巡って巨人と阪神が繰り広げた争奪戦は同年オフの最大の話題だった。悩んだ末に巨人を選んだ清原は、在籍9年で185本塁打576打点をマークしたものの、2005年オフに戦力外通告。オリックスに移籍し、2008年に引退した。
清原以降も広島の主砲だった江藤智、日本ハム時代の2006年に本塁打、打点の二冠王に輝いた小笠原道大、横浜時代に2年連続本塁打王を獲得した村田修一らが巨人のユニフォームに袖を通した。
巨人にFA移籍した野手は13人。現役の陽岱鋼、炭谷銀仁朗、丸佳浩を除く10人のうち巨人で現役を終えたのは片岡治大、金城龍彦、相川亮二、脇谷亮太の4人だけだ。残り6人は「終の棲家」とはならず、他球団に再移籍している。