通算116セーブの郭源治
世界に先駆けて4月12日に開幕した台湾プロ野球。新型コロナウイルスの影響でいまだ開幕していない日本やアメリカからの注目度が高まっている。
これまで日本のプロ野球でも台湾出身選手が活躍した例は少なくない。果たしてベストピッチャーは誰だろうか。主な投手を見ていこう。
郭源治は1981年シーズン中に中日に入団。1986年までは主に先発で起用され、4年連続2桁勝利をマークした。それまで抑えを務めていた牛島和彦が落合博満とのトレードでロッテに移籍した1987年からクローザーに転向。同年は4勝26セーブ、翌1988年は7勝37セーブを挙げる活躍で、2年連続で最優秀救援投手のタイトルを獲得した。
1996年限りで中日を退団後は台湾球界でプレー。全盛期は最速150キロ超のストレートとスライダー、フォーク、シンカーなど多彩な変化球を操り、闘志をむき出しにする投球スタイルでファンを魅了した。NPB通算106勝は台湾出身投手で歴代2位、116セーブはダントツのトップとなっている。
「オリエンタル・エクスプレス」郭泰源
郭源治と同時期に活躍したのが西武の郭泰源。最速156キロの速球で「オリエンタル・エクスプレス」の異名を取り、台湾出身投手最多のNPB通算117勝を挙げた名投手だ。
ロサンゼルス五輪にチャイニーズタイペイ代表として出場し、1985年シーズンから西武のユニフォームに袖を通した。6月4日の日本ハム戦でノーヒットノーランを達成するなど、1年目から9勝を挙げ、以降6度の2桁勝利をマーク。最高勝率のタイトルに2度輝いた。
引退後は台湾の誠泰やチャイニーズタイペイ代表監督などを歴任し、2013年から2年間、ソフトバンクの投手コーチも務めた。
荘勝雄はロッテで通算70勝33セーブをマークした右腕だ。郭源治とともにロサンゼルス五輪に出場後、ロッテ入団。1985年から5年連続2桁勝利を挙げた。引退後はロッテや台湾でコーチを務めた。
チャイニーズタイペイ代表として出場したバルセロナ五輪準決勝で日本に投げ勝って銀メダルを獲得し、争奪戦の末に阪神入りしたのが郭李建夫。身長185センチ、体重95キロの大型右腕への期待は大きかったが、低迷していた阪神のチーム事情から先発、中継ぎ、抑えなど起用法が一定せず、NPB通算27勝31敗19セーブの成績に終わり、6年で退団した。その後は台湾球界で活躍した。
メジャー59勝のチェン
許銘傑は2000年に西武入り。NPB2年目の2001年には11勝を挙げるなど、12年間で49勝をマークした。2012年から2年間はオリックスに在籍したが未勝利に終わり、2014年から台湾でプレーした。
張誌家は2002年シーズン中に西武入団。7月に初勝利を挙げると、いきなり1年目から10勝を挙げた。しかし、2年目以降は2桁勝利を挙げることなく、結局NPB通算26勝どまりだった。
チェン(陳偉殷)は2003年オフに中日と契約。故障もあって、本格的に1軍の戦力となったのは2008年からだった。2009年は8勝どまりながら防御率1.54でタイトル獲得。翌2010年には13勝を挙げるなど、NPB通算36勝を挙げた。
2011年オフにメジャー挑戦のため自由契約となり、オリオールズ入り。2016年からマーリンズに移籍し、2019年までにメジャー通算59勝をマークしている。
MLBも加えるとチェンの実績は素晴らしいが、NPBに限ればベストピッチャーは郭泰源ではないだろうか。郭源治と優劣つけ難いが、郭泰源のNPB通算防御率は3.16、WHIP(1イニングあたり出塁を許した人数)は1.14なのに対し、郭源治は防御率3.22、WHIP1.22とわずかに下回っている。いい時の郭泰源は、まさに「手も足も出ない」という表現がピッタリだった。
台湾出身選手は他にも大勢おり、現在もNPBでプレーしている選手は少なくない。今後どれほどの名プレーヤーが出現するか楽しみだ。
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