日韓通算230セーブの宣銅烈
台湾に続いて、お隣・韓国でも5月5日にプロ野球が開幕した。新型コロナウイルスの影響でいまだ開幕していない日本やアメリカからの注目度が高まっている。
これまで日本のプロ野球でも韓国出身選手が活躍した例は少なくない。果たしてベストピッチャーは誰だろうか。主な投手を見ていこう。
韓国から来日した初めての大物が宣銅烈だ。韓国ヘテ・タイガース時代の1986年、24勝6敗6セーブ、防御率0.99という驚異的な成績を残すなど、最多勝4回、最優秀防御率を8回獲得。通算146勝40敗132セーブという成績を引っ提げて、1995年オフに日本球界挑戦を希望し、中日入団が決まった。
1年目は、開幕戦のリードした9回に登板するもいきなり痛打されるなど、5勝1敗3セーブと期待に応えられなかったが、2年目から本領を発揮。広いナゴヤドームに本拠地移転したこともあって、強気の投球で1勝38セーブをマーク。3年目の1998年も3勝29セーブ、翌1999年も1勝28セーブと活躍し、リーグ優勝を花道に現役を引退した。NPB通算10勝4敗98セーブの成績を残している。
WBCでイチローと対決した林昌勇
宣銅烈と同じ1996年に巨人に入団した趙成珉も入団当初の期待は大きかった。194センチの長身から投げ下ろす威力十分のストレートに甘いマスク、「コリアン・エクスプレス」と異名がつくほど、スター性は十分だった。
1998年には3完封を含む7勝を挙げ、オールスターにも出場。しかし、その後はケガもあって低迷し、2002年に巨人を退団した。韓国球界でプレーした時期もあったが、私生活のトラブルもあり、2013年に自殺したと報じられている。
具臺晟はシドニー五輪の日本戦で好投するなど韓国の銅メダル獲得に貢献し、2001年にオリックス入団。左腕から繰り出すスライダーを武器に1年目から7勝10セーブを挙げた。NPB4年間で、通算24勝10セーブ。退団後はメジャー移籍し、2005年はメッツでプレーしている。
林昌勇はご記憶の方も多いだろう。何と言っても、2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝で、イチローに決勝タイムリーを浴びたシーンは何度もテレビで放送されている。ライバル・韓国の守護神としてインプットされているはずだ。
NPBではヤクルトのクローザーとして活躍した。2008年から2012年の5年間在籍し、通算11勝128セーブ21ホールドをマーク。サイドから繰り出す快速球とスライダーで日本の強打者たちを翻弄した。ヤクルトを退団後はカブスでもプレーしている。
2年で80セーブ挙げた「石直球」呉昇桓
朴賛浩は韓国初のメジャーリーガーとしてMLBでの実績は十分だ。大学中退してドジャース入りし、実働17年で、野茂英雄を1勝上回る124勝をマーク。2010年オフにオリックス入団が決まった際は大きな期待がかけられた。しかし、NPBでは1勝しか挙げられず、1年で退団。2012年は韓国・ハンファでプレーし、この年限りで現役を引退した。
呉昇桓はNPB在籍期間は短かったものの、確かな足跡を残した。サムスンから阪神に移籍したのが2014年。「石直球」と呼ばれた重い速球でクローザーを務め、2年間で4勝80セーブ12ホールドをマークした。2016年からメジャーに移籍し、カージナルスなど3球団でプレーしている。
では、NPBの韓国出身ベストピッチャーは誰だろうか。実績から言えば、宣銅烈、林昌勇、呉昇桓の3人に絞られる。NPB通算防御率では2.09の林昌勇がトップだが、いかにピンチで三振を奪えるかが重要なクローザーとしてK/9(奪三振率)で見ると、宣銅烈は10.42、林昌勇は8.92、呉昇桓は9.73となっている。
異論もあるだろうが、先駆者として敬意を表する意味でも、ベストピッチャーには宣銅烈を推したい。いずれにしても、3投手とも記録にも記憶にも残る剛腕であることは間違いない。
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