「ゴールの外科医」トマソンが52得点でトップタイ
サッカーの2022年FIFAワールドカップは11月20日からカタールで行われる。世界から予選を勝ち抜いた32カ国が集う4年に1度の「夢の祭典」。4月1日には本大会の組み合わせが決定。決勝は12月18日(日本時間24時)に予定されている。
2大会連続6度目の出場を決めたデンマーク代表の得点ランキングは以下の通りとなっている。
1位は小野伸二の元同僚で「ゴールの外科医」という異名を取ったヨン・ダール・トマソンと、第1次世界大戦禍で活躍したポウル・ニールセンの52得点が並んでいる。
トマソンは瞬間的なスピードと絶妙なポジショニングでゴールを量産。また周囲を生かすプレーにも長けていた。小野とともにフェイエノールトに所属した2001~2002年シーズンはUEFA杯優勝。その後はACミランなどでもプレーした。
代表キャリアとしては2002年W杯日韓大会で4得点。得点ランク4位に輝いた。また2010年W杯南ア大会で1次リーグ第3戦・日本戦でPKによる1得点。歴代最多得点に並んだが、チームは1-3で敗れ1次リーグ敗退が決定した。南ア大会をもって代表を引退した。
ポウル・ニールセンは38試合で52得点を叩き出したストライカーだ。1912年ストックホルム五輪に出場し、銀メダル獲得に貢献。五輪後の代表戦では9試合22得点と荒稼ぎし、特にノルウェーからは26得点、スウェーデンからは15得点を挙げている。
1925年を最後に代表戦には出場しておらず、1930年に初開催されたW杯には出場する機会がなかった。
イェルゲンセンが44得点で3位
3位にはパウリ・イェルゲンセンが44得点でランクインしている。ハーフボレーが得意で並外れた闘志とヘディングが武器のストライカーで、1925年9月27日の親善試合フィンランド戦で代表デビュー。デンマークのBKフレムでは297試合出場288得点を挙げており、ポウル・ニールセン同様にハイアベレージで得点を量産した。
4位は“世界で初めて”認められたデンマーク人、オーレ・マドセンが42得点で入った。1964年の欧州ネーションズカップ出場。チームの4位入賞に貢献した。同年、年間最優秀サッカー選手の投票で1ポイントを獲得。これはデンマーク選手にとって初めての快挙でもあった。
1965年にスパルタ・ロッテルダム(オランダ)とプロ契約を交わしたため、それまでアマチュアのみが選出されていたデンマーク代表にしばらく招集されなくなったが、母国に戻った1969年に再び招集されるようになった。
ラルセンとエリクセンが5位タイ
5位にはプレーベン・エルケーア・ラルセンと現役代表のクリスティアン・エリクセンの38得点が並んでいる。
エルケーア・ラルセンはデンマーク史上初のW杯スコアラー。屈強な身体を活かしたドリブル突破と左足のシュートが特徴の選手で「野牛」などの愛称で呼ばれた。
1977年にケルン(ドイツ)へ移籍したものの奥寺康彦とのポジション争いに勝てず、ロケレン(ベルギー)へ移籍。そこで頭角を現すと、1980年代中盤にはミカエル・ラウドルップと2トップを組み、1984年の欧州選手権で2得点を挙げてベスト4進出。同国初のW杯出場となった1986年メキシコ大会では初戦スコットランドで決勝点を挙げた。ヘビー・スモーカーとしても有名である。
クリスティアン・エリクセンで記憶に新しいのが2021年のERUOだろう。6月12日の1次リーグ初戦フィンランド戦の前半終盤に突如、心停止で倒れた。そのままピッチ上でAEDによる蘇生処置を行い、病院に緊急搬送された。一命を取り留めると2022年3月26日の親善試合オランダ戦で代表復帰。後半開始から途中出場し、ファーストタッチとなった後半2分にゴールを挙げた。
W杯には2010年南ア大会と18年ロシア大会に出場。2022年W杯カタール出場への期待も高い。
元神戸のラウドルップは37得点
そして7位はミカエル・ラウドルップの37得点だ。ユベントスやバルセロナでプレーし、元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタが憧れた選手。1996年から1997年途中までは神戸でプレーし、J昇格に貢献したことでも知られる。
代表キャリアとしては1982年6月15日、自身18歳の誕生日に代表デビューを果たした。W杯は1986年メキシコ大会、1998年フランス大会と2度出場。フランス大会を最後に、現役を引退した。
8位はニクラス・ベントナーの30得点が入った。強靱なフィジカルと柔らかいボールタッチ、そしてヘディングとストライカーとしての資質が高く、代表デビュー戦となった2006年8月16日のポーランド戦で1得点。2010年南ア大会欧州予選でも3得点を挙げて本大会出場の立役者となり、同大会の1次リーグ・カメルーン戦では1得点を決めて勝利に貢献した。
ただもっと名声を得ても良い才能を持ちながら、私生活で問題が絶えなかった。2013年3月には飲酒運転容疑で逮捕。その他、器物破損などでも問題を起こし、2021年6月に33歳の若さで現役を引退した。