「悪童」ルーニーが53得点で歴代1位
サッカーの2022年FIFAワールドカップは11月20日からカタールで行われる。世界から予選を勝ち抜いた32カ国が集う4年に1度の「夢の祭典」。本大会の組み合わせ抽選は4月1日に行われ、決勝は12月18日(日本時間24時)に予定されている。
「スリーライオンズ」の愛称を持つイングランド代表は7大会連続16度目の出場が決定。今W杯では優勝候補にも挙げられるサッカーの母国の得点ランキングは以下の通りとなっている。
マンチェスター・ユナイテッドで長く活躍したウェイン・ルーニーが53得点で1位に輝いた。
エバートン所属時、16歳でプレミアリーグデビューを果たし、当時のプレミアリーグ最年少得点記録を樹立(16歳360日)。17歳111日だった2003年2月17日の親善試合オーストラリア代表戦でA代表デビューを果たすと、同年9月6日のEURO2004予選マケドニア戦で代表初得点。17歳317日での得点は現在もイングランド代表最年少得点記録だ。
ぽっちゃり体型ながら爆発的なスピードを持ち、パスセンス能力や運動量も豊富で、複数のポジションができる万能プレーヤーは長らくエースとして君臨し、国際Aマッチ通算120試合53得点をマーク。W杯では2006年ドイツ大会から3大会連続出場。ドイツ大会、南ア大会では無得点に終わったものの、2014年ブラジル大会ではウルグアイ戦で1得点、イタリア戦で1アシストをそれぞれ記録した。
喫煙者、酒豪としても知られ、若かりし頃は気性の激しさゆえに「悪童」とも呼ばれた。
W杯初優勝に貢献した「キャノンシュート」のチャールトン
2位は「サー」の称号を持つボビー・チャールトン。国際Aマッチ106試合49得点を挙げたストライカーで、左足から放たれる強烈なシュートは「キャノンシュート」として恐れられた。
W杯は1958年スウェーデン大会から4大会連続出場。母国開催となった1966年イングランド大会では準決勝ポルトガル戦で全2得点を挙げるなど大会通算3得点で同国の初優勝に貢献した。
またボビー・チャールトンで忘れてはいけないのが1958年2月6日の「ミュンヘンの悲劇」だ。マンチェスターUの遠征から帰路に着いている最中に飛行機事故に遭い、多くの仲間を失う。その中でチャールトンは機外に放り出されるも奇跡的に大きなケガはなく、一命を取り留めた。
この事故から2カ月後の1958年4月19日スコットランド戦でイングランド代表デビュー。この試合で代表初得点を挙げた。一時は精神的なショックからサッカーができない状況に追い込まれたが立ち直り、母国の栄光とマンチェスターUの復権に貢献した。福島県にある「Jヴィレッジ」は彼が命名したものとしても有名だ。
ケインとリネカーが3位タイ
3位は現役代表エースのハリー・ケインと日本でもおなじみのゲーリー・リネカーが48得点で並んでいる。
ケインは高い決定力を誇り、抜群のポジショニングでゴールを量産。2015年3月27日のEURO予選リトアニア戦で代表デビューを果たすと、わずか79秒で初得点を記録した。この得点はイングランド代表デビュー歴代最速ゴール記録となっている。
またベスト4に進出した2018年W杯ロシア大会では大会通算6得点を挙げており、同国では1986年メキシコ大会のゲーリー・リネカー以来32年ぶりの大会得点王に輝いた。カタールW杯でもエースとして大きな期待が掛けられている。
そしてプロキャリアにおいて1枚の警告も貰わなかった“紳士”リネカーは生粋のストライカータイプで、狭いスペースに一瞬で入り込んでダイレクトで決めるゴールが持ち味だった。1メートル77と決してFWとして恵まれた体躯ではなかったが、その嗅覚で大型DFを手玉に取った。
W杯は1986年メキシコ大会と1990年イタリア大会の2度出場し、メキシコでは6得点で大会得点王に輝き、イタリアでは4得点。W杯通算12試合10得点の実績を残している。だが1993年、鳴り物入りで名古屋に加入したがJ1通算18試合4得点と振るわず、推定年俸3億円に見合った活躍はできなかった。
「ワンダーボーイ」オーウェンは6位
5位はボビー・チャールトンとともに1960年代のイングランドを牽引したジミー・グリーブスが44得点でランクインした。W杯は1962年チリ大会から2大会連続出場。1966年のイングランド大会では1次リーグこそ出場したが、決勝トーナメントは負傷のため欠場した。2大会7試合1得点の成績だったが、代表戦でのハットトリック回数は同国最多の通算6度をマークした。
クラブレベルでの活躍も顕著で、イングランドのトップリーグで516試合出場357得点、得点王6回はともに歴代最多記録。2017年にメッシとクリスティアーノ・ロナウドに抜かれるまで欧州5大リーグの最多得点者でもあった。
6位は元祖「ワンダーボーイ」マイケル・オーウェンの40得点。リバプール所属時の1997年5月6日ウィンブルドン戦でトップデビューを飾り、同戦で初得点を挙げるなど有望な若手として期待されていたが、やはり彼の名を世界に轟かせたのは1998年W杯フランス大会の決勝トーナメント1回戦アルゼンチン戦だろう。
デイヴィット・ベッカムからの縦パスを受けると、絶妙なトラップと抜群のスピードで世界屈指のDF2人を置き去りにしてゴールを奪った。
シアラー、フィニー、ロフトハウスが7位タイ
7位はアラン・シアラー、トム・フィニー、ナット・ロフトハウスの3選手が30得点で並んでいる。
シアラーは1998年W杯フランス大会時の主将で、ルーニーとリネカーを足して2で割ったようなストライカーだった。ゴール前でマークを外す一瞬の動きや左右両足で打てる技術、そして決して上手くはなかったがポストプレーで周囲を活かすこともできた。長くニューカッスルで活躍した。
トム・フィニーは第2次世界大戦後に活躍。ウインガーが主戦場だったが、晩年はセンターフォワードとしてもプレー。1950年ブラジル大会から3大会連続W杯出場。通算7試合2得点を挙げた。第2次世界大戦時にはエジプトに従軍した。
ナット・ロフトハウスは左利きのストライカーで、1950年11月22日ユーゴスラビア戦で代表デビューを飾る。その試合で2得点を挙げ、25歳にして代表定着となった。1954年W杯スイス大会では1次リーグ・ベルギー戦で2得点。敗れはしたが準々決勝ウルグアイ戦でも1得点を決めた。
「IQ150」ランパードは29得点
10位はビビアン・ウッドワードとフランク・ランパードの29得点。ウッドワードは1903年から1911年までの第1次世界大戦前に活躍したFW。代表デビューを飾った1903年2月14日のアイルランド戦でいきなり2得点をマークするなど、1試合の平均得点は1点を上回る活躍を見せた。
1908年ロンドン五輪、1912年ストックホルム五輪では主将として英国代表の2連覇に貢献した。だが1914年の大戦勃発後は従軍し、代表選手としてピッチに戻ることは叶わなかった。
唯一のMF登録選手であるフランク・ランパードは強烈なミドルシュートだけではなく、自ら持ち運ぶこともでき、さらに両足で打てる技術の高さも際立っていた。運動量も豊富で、ケガにも強かった。IQ150で頭脳明晰。どこに動けば得点が取れるか、相手を崩せるかを俯瞰して見られる、まさに完成されたセントラルMFだった。
W杯には2006年ドイツ大会から3大会連続出場。主将マークを巻いた14年ブラジル大会1次リーグ・コスタリカ戦が代表ラストマッチだった。
昨夏のEURO2021では準優勝したイングランド。得点ランクには入ってきていないものの、有望な若手選手が多く、56年ぶり2度目のW杯優勝をつかみとるか、注目が集まる。
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