ソフトバンクと阪神に2人ずつFA移籍
トレードと違い、FAは選手側に選択権があるため、需要と供給が一致しない限り、移籍は成立しない。砕けた言い方をすると、入りたいという選手と、大金を出してでも欲しいという球団の思いが合致する必要がある訳だ。
従ってシーズンオフのFA戦線で1球団に複数人が移籍することはそうない。唯一の例外が人気と資金力を併せ持つ巨人で、1993年のFA制度導入以来、28年間で実に10回も一気に2人以上を獲得している。良い悪いは別にして、他球団には真似のできない芸当だろう。
巨人に次いで多いのがソフトバンクの3回(ダイエー時代含む)。それ以外は阪神、ヤクルト、ロッテが1回ずつ複数のFA選手を一気に獲得したことがある。
2010年は偶然にもソフトバンクと阪神が2人ずつ獲得し、巨人はゼロという珍しい年だった。
国内FA権を行使したのが阪神・関本賢太郎、横浜・内川聖一、西武・細川亨、オリックス・後藤光尊の4人。海外FA権を行使したのがロッテ・小林宏之、楽天・藤井彰人、横浜・金城龍彦、ソフトバンク・多村仁志、日本ハム・建山義紀、森本稀哲、西武・土肥義弘の7人。そのうち新天地に移籍したのが内川聖一、細川亨、小林宏之、藤井彰人、森本稀哲、建山義紀、土肥義弘の7人だった。
各選手の移籍先での成績を振り返る。
内川聖一はソフトバンクでも首位打者、細川亨も6年間プレー
大分工業高から2000年ドラフト1位で横浜に入団した内川聖一は、2008年に右打者最高打率の.378で首位打者に輝き、189安打で最多安打、.416で最高出塁率のタイトルも獲得するなど、セ・リーグを代表する強打者として活躍した。
2010年オフにFA宣言するとソフトバンクと広島が獲得に乗り出したが、王貞治球団会長から直接口説かれた内川は、故郷に近いソフトバンク入りを決断。結婚して間もなかったフジテレビアナウンサー・長野翼夫人の理解も得て、4年契約を結んだ。
移籍1年目の2011年にいきなり打率.338で首位打者に輝くなどソフトバンクでも主力として活躍。10年在籍して打率.296、117本塁打、602打点と堂々の成績を残した。
ただ、2020年は二軍で好成績を残していたにもかかわらず一度も一軍昇格できず、オフに自ら退団を申し入れ。今季からヤクルトでプレーしている。
もう一人ソフトバンク入りしたのが、西武で正捕手を務めた細川亨だった。FA宣言すると横浜とオリックスも獲得に動いたが、大型契約を提示したソフトバンクを選択。しかし、4年契約が満了した2015年に右手を骨折して出番を減らし、翌2016年オフに自由契約となった。西武には6年在籍して521試合出場、打率.184、14本塁打、106打点だった。
その後、楽天、ロッテとパ・リーグ4球団を渡り歩き、昨オフに引退。現在は九州アジアリーグ・火の国サラマンダーズの監督を務めている。
小林宏之は阪神を2年で戦力外、藤井彰人は人気選手に
春日部共栄高から1996年ドラフト4位でロッテに入団した小林宏之は、4度の2桁勝利を挙げるなど主に先発として活躍し、2010年はクローザーとして3勝29セーブをマーク。オフにメジャー挑戦を視野にFA宣言したが、結果的には翌年1月に推定2年5億円で阪神と契約した。この時の人的補償が2007年高校生ドラフト1位の高濱卓也だったため惜しむ声も聞かれた。
小林は阪神で期待されたものの、シーズン中に二軍落ちも経験するなど1年目は1勝5敗21ホールド。2年目の2012年は一度も一軍で登板することなく戦力外となった。
その後、独立リーグを経て西武入りし、2014年に引退。通算成績は75勝74敗29セーブ31ホールドだった。
もう一人、阪神入りしたのが藤井彰人だった。近大付高から近畿大を経て近鉄に入団した生粋の大阪人は、近鉄球団消滅に伴い、分配ドラフトで楽天に移籍。しかし、嶋基宏に正捕手を奪われたこともあってFA宣言し、城島健司の左膝手術で捕手に不安を抱えていた阪神移籍を決めた。
打力のある城島に比べると地味な印象を拭えず、当初はそこまで大きな期待をかけられていなかったが、巧みなリードと陽気なキャラクターで人気が急騰。お立ち台では大阪人らしいユーモアあふれる受け答えで甲子園を沸かせた。
2015年に引退するまで阪神在籍5年で397試合に出場し、打率.231。現在は阪神の一軍バッテリーコーチを務めている。
森本稀哲は横浜でレギュラー奪えず
帝京高から1998年ドラフト4位で日本ハムに入団した森本稀哲は、高い身体能力と陽気なキャラクターで人気選手となった。2010年オフにFA宣言し、横浜移籍を決めると、中華街で行われた入団会見でラーメンマンに扮して登場。横浜ファンのハートをつかんだ。
しかし、ケガもあって横浜ではレギュラーをつかめず2013年に戦力外。在籍3年で160試合に出場し、打率.218、4本塁打、27打点だった。その後、西武に移籍し、2015年に引退した。
松下電器から1998年ドラフト2位で日本ハムに入団した建山義紀は、サイドから繰り出す変化球を駆使して主に中継ぎで活躍。2010年オフにFA権を行使してMLBレンジャーズ入りした。2年在籍してメジャーでは53試合に登板し、3勝1セーブ4ホールド。2013年シーズン中にヤンキース傘下3Aに移籍し、2014年6月に阪神入団。同年限りで引退した。
プリンスホテルから1997年ドラフト4位で西武に入団した土肥義弘は、トレードで横浜移籍、戦力外で西武復帰と所属を変え、2010年オフにメジャー挑戦を目指してFA宣言した。しかし、MLB球団との契約には至らず、2011年6月にアメリカの独立リーグ入りしたものの登板なし。翌2012年もアメリカに残ったが、メジャーの夢は叶えられず引退した。
FA権はプロ野球選手にとって勲章でもあり、その行使は野球人生を大きく左右する。夢を叶えた選手もいれば、期待に応えられなかった選手もいる。決断が正解だったかどうか誰にも分からないが、人生のターニングポイントであることは間違いない。
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