両リーグを代表するリリーフ右腕と先発左腕を一挙に獲得
巨人が資金力をフル活用して「金満補強」と揶揄されることも多かったFA戦線。西武で長らくクローザーとして活躍した豊田清と1999年に19勝を挙げた野口茂樹という、両リーグを代表するリリーフ右腕と先発左腕を一挙に獲得した2005年は、まさにそんな表現が当てはまる大補強だった。
近鉄とオリックスの合併に端を発した1リーグ制移行が頓挫し、セ・パ交流戦が始まった年。パ・リーグ各球団も地域に根付いて不動の人気を獲得している今とは違い、まだまだ「巨人人気」に頼っていた球界を象徴する出来事だった。
同年にFA宣言したのは西武・豊田清、阪神・矢野輝弘、中日・野口茂樹、谷繁元信、ソフトバンク・城島健司の5人。そのうち矢野と谷繁は残留したため、新天地に移籍したのは3人だった。
豊田清は全盛期の力なく中継ぎ降格
同朋大から1992年ドラフト3位で西武に入団した豊田は、2002年、2003年に2年連続38セーブを挙げて最優秀救援投手に輝くなど、パ・リーグを代表するクローザーの1人として活躍した。
2005年にFA宣言すると、クローザー不在だった巨人は、すでに2億5000万円の高給取りだった豊田と2年契約。結果的に人的補償で1999年にFAで加入した江藤智を失うことになったが、それでもウィークポイントの補強を優先した。
しかし、35歳になった豊田に往年の力はなく、移籍1年目の2006年は1勝4敗13セーブ7ホールドと期待外れ。クローザーから中継ぎに配置転換され、その後も2010年までの5年間で通算9勝14敗22セーブ71ホールドとクローザーに完全復帰することはなかった。
2010年オフに戦力外となった豊田は、翌2011年は広島でプレーし引退。巨人のコーチを経て、現在は古巣・西武の一軍投手コーチを務めている。
ちなみに西武に移籍した江藤も衰えは隠せず、4年プレーして2009年に引退。引退後は2018年まで巨人で豊田とともにコーチを務め、同学年の2人の野球人生が初めて交錯した。
野口茂樹は3年間でわずか1勝
愛媛・丹原高から1992年ドラフト3位で中日に入団した野口茂樹は、左腕から繰り出すキレのいいストレートと大きなカーブを武器に活躍。1998年と2001年の2度、最優秀防御率に輝くなど通算80勝をマークしていた。
2005年にFA宣言し、巨人と推定年俸1億円で2年契約。人的補償で小田幸平が中日に移籍した。
期待された野口だが、移籍1年目の2006年は1試合登板のみ。翌2007年は31試合に登板したものの1勝1敗4ホールドに終わった。年俸75%ダウンの2500万円で臨んだ2008年は一軍登板できず戦力外。その後、独立リーグで1年プレーし、引退した。
一方、中日に移籍した小田は移籍後に出番を増やし、レギュラーこそ奪えなかったものの、2014年までプレー。野口と明暗が分かれた。