阪神はポスティング認めず、待望の海外FA権を取得した藤川球児
分かっていても打てない「火の玉ストレート」で一世を風靡した阪神・藤川球児は、かねてからメジャー挑戦したいという希望を持っていた。全盛期に最高峰の舞台で勝負したいというアスリートの気持ちは抑えようがない。
しかし、重要な戦力だったため、阪神球団はポスティングシステムでの移籍を認めなかった。絶対的なクローザーに抜けられると困るという球団の言い分もこれまた当然だ。経営状態の苦しい球団ならポスティングで高く売った方が得策という計算も働いただろうが、年間300万人前後を動員する人気球団にその考えはなかった。
毎年のようにオフにメジャー挑戦を訴えてきた藤川が、ようやく海外FA権を取得したのが2012年。高知商からドラフト1位で入団してから14年が経過し、32歳になっていた。当時すでに通算42勝25敗220セーブをマークしていた日本球界屈指のクローザーがついにFA宣言した。
同年に海外FA権を行使したのは藤川のほか、西武・中島裕之、日本ハム・田中賢介、オリックス・日高剛の4人、国内FA権は阪神・平野恵一とオリックス・寺原隼人の2人が行使した。6人の移籍後の成績を振り返る。
トミー・ジョン手術を受け、2年半で無念の帰国
注目の藤川はカブスと2年契約を結んだ。2013年4月の開幕戦では、いきなりセーブを挙げる好スタート。しかし、振り続けた藤川の右腕が悲鳴を上げた。6月にトミー・ジョン手術を受け、メジャー1年目は12試合登板で1勝1敗2セーブ1ホールドに終わった。
2年目の2014年は15試合に登板したものの勝敗はつかず、オフにレンジャーズへ移籍。2015年は2試合に登板しただけで自由契約となり、シーズン中に無念の帰国となった。
結局メジャーでは実績を残せなかった藤川。その後、四国アイランドリーグ・高知を経て阪神に復帰し、昨年惜しまれながら引退した。もし、あと数年早くメジャー挑戦が実現していたら結果は違っていたのだろうか。「火の玉ストレート」でメジャーリーガーと真っ向勝負する姿をもっと見たかったファンは多いだろう。
中島裕之と田中賢介もメジャーで結果残せず帰国
中島裕之も期待されながら海を渡ったが、メジャーでは結果を残せなかった。西武時代は最高出塁率に2度、最多安打に1度輝くなど強打者として活躍。前年にポスティング申請してメジャー移籍を模索したが契約に至らず、2012年に仕切り直してFAでアスレチックス移籍が決まった。
しかし、春季キャンプ中のケガが響いて3Aでのプレーが続き、メジャーには昇格できずじまい。2014年オフにオリックスに移籍した。現在は巨人でプレーしている。
日本ハムの主軸として活躍していた田中賢介もメジャー挑戦した。ジャイアンツとマイナー契約ながら7月にメジャー昇格し、15試合に出場。翌年はレンジャーズ傘下3Aでプレーし、2015年から日本ハムに復帰した。