導入後最多の10人がFA移籍、ソフトバンクから3人も
プロ野球のストーブリーグを熱くするフリーエージェント。1993年に導入されてからFA宣言してメジャーも含めた他球団に移籍した選手が最も多かったのが2011年だった。
海外FA権を行使したのがソフトバンクの和田毅と川崎宗則、楽天の岩隈久志、巨人の大村三郎、阪神の新井貴浩、横浜の村田修一の6人、国内FA権を行使したのがソフトバンクの杉内俊哉、西武の許銘傑と帆足和幸、中日の小池正晃、巨人の鶴岡一成、横浜の篠原貴行の6人だった。そのうち新井と篠原はチームに残留したため、10人が新天地のユニフォームに袖を通した
ソフトバンクからエース級の左腕2人を含む3人が一挙に流出した2011年オフ。そのうちの1人、和田毅はプロ入り以来9年間で7度の2桁勝利を挙げた実績を引っ提げてMLBオリオールズに移籍した。
しかし、故障もあって2年間はメジャーのマウンドに立てず、2014年から2年在籍したカブスで計5勝(5敗)を挙げるにとどまった。2016年から古巣ソフトバンクに復帰し、40歳の今季も先発ローテーションの一角を担っている。
同じくソフトバンクからメジャー挑戦したのが川崎宗則。マリナーズに移籍して敬愛するイチローとチームメートとなったが、61試合に出場して打率.192と結果を残せず、1年でブルージェイズに移籍。2016年のカブス時代も含めてMLB通算5シーズンで276試合に出場し、2017年に古巣ソフトバンクに復帰した。現在はBCリーグ・栃木でプレーしている。
村田修一は巨人の6シーズンで109本塁打
近鉄時代に2年連続15勝、楽天時代の2008年に21勝を挙げるなど輝かしい実績を残していた岩隈久志は、2011年オフにFA宣言してMLBマリナーズに移籍した。
1年目の2012年に9勝5敗2セーブの成績を残すと、2013年に14勝、2014年に15勝、2016年に16勝を挙げ、メジャー6シーズンで通算63勝(39敗)をマークした。巨人移籍後は1試合も登板することなく昨オフに引退している。
1994年ドラフト1位でロッテに入団した大村三郎は、17年目の2011年シーズン中にトレードで巨人に移籍。半年後の同年オフにFA宣言してロッテに復帰した。復帰後は2016年に引退するまで328試合に出場して打率.241、17本塁打、105打点だった。
横浜時代の2007、2008年に2年連続本塁打王に輝くなど主砲として活躍した村田修一は、2011年オフにFAで巨人移籍。2年前にFAで加入していた藤井秀悟が人的補償でDeNAに移籍した。
村田は2013年に25本、2014年に21本、2016年に25本など在籍6年で109本塁打を放ったが、2017年オフに自由契約。BCリーグ・栃木で1年間プレーしてNPB復帰のチャンスを待ったが、断念して引退した。現在は巨人の一軍野手総合コーチを務めている。
杉内俊哉は4年で39勝もケガで引退
2005年に18勝4敗、防御率2.11で最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得するなど、プロ入り10年で6度の2桁勝利をマークしていたソフトバンクの杉内俊哉は、2011年オフにFA宣言。4年総額20億円と報じられた大型契約で巨人入りした。
移籍1年目の2012年にはノーヒットノーランを達成するなど12勝。その後も4年間で計39勝(22敗)をマークしたが、その後は股関節の手術を受けた影響で一軍に復帰できないまま2018年に引退した。現在は巨人の一軍投手コーチを務めている。
台湾出身の許銘傑は2000年に西武入団し、12年間で49勝をマーク。2011年オフに外国人選手として初めてFA権を行使してオリックスに移籍したが、2年で1勝も挙げられず、3敗1セーブ10ホールドの成績を残して台湾に帰国した。
2000年ドラフト3位で九州三菱自動車から西武入りした帆足和幸は、4度の2桁勝利を挙げるなど主に先発として活躍。2011年オフに地元・福岡のソフトバンクに移籍した。4シーズンで15勝(9敗)を挙げ、2015年に引退した。