FA移籍の8人中5人がメジャーへ、福留孝介はカブス入り
セ・リーグで優勝した巨人をクライマックス・シリーズで破った中日が、日本シリーズでも日本ハムを下して日本一となった2007年。オフにFA宣言したのは中日・福留孝介、阪神・下柳剛、広島・黒田博樹、新井貴浩、ヤクルト・石井一久、ロッテ・薮田安彦、小林雅英、楽天・福盛和男、西武・和田一浩の9人だった。そのうち下柳は阪神に残留し、8人が新天地に移籍。その中でも5人はメジャーリーグだった。
日本生命から1998年ドラフト1位で中日に入団した福留孝介は、2002年と2006年に2度、首位打者に輝くなど主軸として活躍。2007年にFAでカブス入りすると、2011年シーズン中にインディアンスにトレード移籍するまで、計513試合に出場して打率.262、37本塁打、169打点をマークした。
2013年から阪神に移籍して日本球界に復帰し、今季から古巣・中日でプレー。球界最年長の44歳となったが、元気な姿を見せている。
黒田博樹はドジャースで41勝、新井貴浩は阪神で86本塁打
専修大から1996年ドラフト2位で広島に入団した黒田博樹は、2005年に最多勝(15勝)、2006年に最優秀防御率(1.85)に輝くなどセ・リーグを代表する右腕として活躍。FAでドジャース入りすると、4シーズンで41勝(46敗)をマークした。
さらにその後ヤンキースでは3シーズンで38勝(33敗)を挙げ、2015年に古巣・広島に復帰。5年連続2桁勝利の右腕にはMLB球団から高額のオファーが届いていたにもかかわらず、推定4億円の広島を選び、「男気復帰」と称賛された。2016年に10勝(8敗)を挙げて25年ぶりのリーグ優勝に貢献し、引退した。
黒田と時を同じくして移籍したのがチームメートの新井貴浩だった。2005年に43本塁打でタイトル獲得したスラッガーは、先にFA移籍していた金本知憲を追うように阪神入り。記者会見では涙を流しながら複雑な胸中を吐露した。人的補償で赤松真人が広島に移籍した。
移籍後の新井は2011年に93打点でタイトルに輝いたものの、本塁打は2010年の19本が最多。7シーズンで86本塁打、2014年はわずか3本塁打に終わり、自由契約となった。
その後、広島復帰が決まり、黒田と再びチームメートとしてリーグ優勝に貢献。2018年に引退するまで2203安打、319本塁打、1303打点の成績を残した。
2人ともメジャーと阪神で苦労して得たものを古巣に還元したという意味では、FA移籍は正解だったのかも知れない。
石井一久は西武で45勝、ロッテから2人メジャー移籍
石井一久は2001年にヤクルトからポスティングシステムでドジャースに移籍し、メジャー4シーズンで39勝(34敗)をマーク。2006年からヤクルトに復帰していた。2007年にFA宣言して西武入りすると、移籍1年目の2008年に11勝(10敗)。2012年も10勝(5敗)を挙げるなど6年で45勝(40敗)を挙げた。現在は楽天の監督を務めている。
新日鉄広畑から1995年ドラフト2位でロッテ入団した薮田安彦は、先発から中継ぎ、抑えまでこなす活躍。2007年にFA宣言してMLBロイヤルズと2年契約を結んだ。2シーズンで計43試合、3勝4敗と芳しい結果は残せず、2010年から古巣ロッテに復帰し、2013年に引退した。
東京ガスから1998年ドラフト1位で入団し、クローザーとして「幕張の防波堤」の異名を取った小林雅英は、36勝227セーブの実績を引っ提げてインディアンス入り。1年目は57試合に登板し4勝5敗6セーブ2ホールドたったが、2年目の2009年は10試合登板にとどまり、2010年から巨人に移籍した。オリックス移籍後の2011年に引退している。