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兵庫出身のプロ野球タイトルホルダー一覧、村山実、江夏豊ら阪神勢多数

2021 11/14 06:00SPAIA編集部
楽天の田中将大,ⒸSPAIA
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山田哲人は本塁打王、元チームメイトの田中将大&坂本勇人も

プロ野球選手にとって個人タイトルは最高の栄誉のひとつであり、歴史に残る勲章でもある。1950年の2リーグ分立後、本塁打王、打点王、首位打者、最多勝、最優秀防御率の5部門でタイトルを獲得した選手を出身地別に分類(外国出身選手を除く)すると、兵庫出身は16人。元チームメイトの田中将大と坂本勇人や、村山実、江夏豊、今岡誠ら阪神勢が目立つ。

兵庫出身のプロ野球タイトルホルダー


山田哲人は兵庫県豊岡市出身で、小2の時に宝塚リトルで野球を始めた。大阪・履正社高3年時に夏の甲子園に出場するなど通算31本塁打をマーク。ドラフト1位でヤクルト入団後は2015年に38本塁打で本塁打王に輝いた。同年を含み、3度のトリプルスリーを達成している。

田中将大は伊丹市出身で、小学校時代に「昆陽里タイガース」で捕手として投手だった坂本勇人とバッテリーを組んでいた。駒大苫小牧高では2年夏に全国制覇(チームは2連覇)。3年夏は決勝で早稲田実・斎藤佑樹と投げ合い、延長15回引き分け再試合の末、準優勝に終わった。

ドラフト1位で楽天入りし、2011年に19勝で最多勝、1.27で最優秀防御率に輝き、2013年は無傷の24連勝で最多勝、1.27で最優秀防御率。チームを日本一に導き、翌年移籍したヤンキースでも通算78勝を挙げた。

坂本勇人も田中と同じ伊丹市出身で、光星学院高(現八戸学院光星高)からドラフト1位で巨人に入団。2016年に打率.344で首位打者に輝いた。

2度の優勝に貢献した今岡誠、監督も務めた古田敦也と佐々木恭介

今岡誠は宝塚市出身で、PL学園高から東洋大に進み、アトランタ五輪の銀メダルを手土産に逆指名で阪神入り。2003年に打率.340で首位打者、2005年には147打点で打点王のタイトルを獲得し、2度の優勝に大きく貢献した。

伊良部秀輝は沖縄生まれだが、育ったのは尼崎市。尽誠学園高からドラフト1位でロッテ入団し、1994年に15勝で最多勝、1995年に2.53、1996年に2.40で2年連続最優秀防御率に輝いた。

古田敦也は川西市出身で、川西明峰高から立命館大、トヨタ自動車を経てドラフト2位でヤクルト入り。1991年に打率.340で首位打者に輝き、通算2097安打をマークした。2006年から2年間、選手兼任監督も務めた。

佐々木恭介は柏原高(兵庫)から新日鉄広畑を経てドラフト1位で近鉄入団。1978年に打率.354で首位打者に輝き、引退後は1996年から4シーズン、近鉄の監督を務めた。

317勝の鈴木啓示、320勝の小山正明

江夏豊は尼崎市出身で、大阪学院大高からドラフト1位で阪神入り。左腕から投げ込む剛速球で2年目の1968年に401奪三振の新記録を樹立、25勝で最多勝に輝いた。翌1969年に1.81で最優秀防御率のタイトルを獲得し、1973年には24勝で2度目の最多勝。その後、南海、広島、日本ハム、西武とわたり歩き、通算206勝193セーブをマークした。

鈴木啓示は西脇市出身で、育英高から近鉄入り。1969年(24勝)、1977年(20勝)、1978年(25勝)と3度の最多勝に輝き、1978年には2.02で最優秀防御率のタイトルを獲得した。歴代4位の通算317勝をマークし、引退後は1993年から3年間、近鉄の監督も務めた。

村山実は尼崎市出身で、住友工業高から関西大を経て阪神に入団。1965年(25勝)、1966年(24勝)に2年連続最多勝、最優秀防御率にも1959年(0.75)、1962年(1.20)1970年(0.98)と3度輝いた。「2代目ミスタータイガース」と呼ばれ、現役晩年の選手兼任時代を含め、計5シーズンで監督も務めた。

小山正明は高砂高から阪神に入団し、村山とともに投手陣の両輪として活躍。「世紀のトレード」と言われた山内一弘との交換トレードで東京オリオンズに移籍した1964年に30勝を挙げて最多勝に輝いた。金田正一、米田哲也に次いで歴代3位の通算320勝をマークした。

骨折しても投げた別所毅彦、「青バット」の大下弘

大友工は但馬貨物から巨人入りし、1953年に27勝、防御率1.86でタイトルを獲得した。1955年にも30勝で最多勝に輝き、通算130勝を挙げている。

青田昇は旧制滝川中を中退して17歳で巨人に入団し、阪急、大洋などでプレー。本塁打王5回、打点王2回、首位打者を1回獲得し、通算1827安打、265本塁打をマークした。

別所毅彦は旧制滝川中時代、甲子園で左腕骨折しながら力投し、感動を呼んだエピソードは有名だ。南海時代の1947年(30勝)、巨人時代の1952年(33勝)、1956年(27勝)の3度最多勝に輝き、1955年には1.33で最優秀防御率のタイトルも獲得した。

大下弘は神戸市出身で、台湾の高雄商から明治大を経てセネタース入り。「青バット」で本塁打王、首位打者ともに3度獲得し、通算1667安打、201本塁打をマークした。

別当薫は旧制甲陽中から慶応大に進み、戦後、大阪タイガースに入団。毎日移籍後の1950年に43本塁打、105打点で二冠王に輝いた。引退後は近鉄、大洋、広島などで監督を歴任し、監督通算1237勝を挙げている。

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