8月20日の試合後に球団が「辞任要請」
オリックスの西村徳文監督が辞任した。4-6で敗れた8月20日の西武戦後、球団が辞任を要請し、監督が承諾したという異例の発表があった。あくまで「辞任」としているが、事実上の解任と捉えられても仕方ないだろう。
オリックスはここまで16勝33敗4分けで最下位に低迷。メジャー通算282本塁打のアダム・ジョーンズを獲得し、投手陣も充実していることから開幕前の期待は高かっただけに、現状の責任を取る格好となった。
21日から中嶋聡二軍監督が監督代行として指揮を執り、一、二軍のコーチを入れ替えるなどコーチ陣も刷新。中嶋聡監督代行は「二軍監督の立場からこのチームを見ていて、選手が持つポテンシャルと可能性については大いに期待を抱いていました。残り67試合。やれることはまだまだあります。このままで終わるチームではありません。すべての戦力をひとつにして戦っていきます」とコメントしている。
2004年オフに近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブが合併して誕生したオリックス・バファローズ。前身球団から考えると、その歴史は古く、輝かしい時代もあった。しかし、合併後は監督交代を繰り返し、今では12球団で最も優勝から遠ざかっており、Aクラスすら2008年と2014年の2度しかない。
かつて「名将」と呼ばれた歴代の監督が残してきたものは何だったのか。改めて彼らが残した記録や育てた名選手を紹介したい。
仰木彬
仰木彬監督は、近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの黄金期を築いた名将中の名将だ。
近鉄ではリーグ優勝、オリックスでは日本一に輝いた。監督を務めた通算14シーズンのうち11シーズンでAクラス入りを果たすなど、指揮官としての手腕は誰もが認めるすばらしい実績だ。仰木監督が率いた2つの球団が合併し、オリックス・バファローズ初代監督に就任したのも自然な成り行きに感じられる。
しかし、仰木監督がチームに残したモノは実績だけではない。球団のみならず日本球界、さらにメジャーリーグで大活躍する名選手を育てあげたことだろう。1人はトルネード投法で大活躍した野茂英雄。そしてもう1人は、日米通算4367安打を放ったイチローだ。
2人はトルネード投法、振り子打法など個性的なフォームの選手だった。普通なら首脳陣から矯正され、つぶされる可能性もあるが、仰木監督は個性を認め、決して矯正することはなかった。彼らの意向をくみ取り、名選手に育てあげたのだ。口で言うのは簡単だが、なかなかできることではないだろう。
西本幸雄
西本幸雄監督は阪急ブレーブスと近鉄バファローズを率いた名将だ。
阪急ブレーブスで監督を務めた11年間で5度のリーグ優勝。また、近鉄時代も2年連続リーグ優勝を成し遂げるなど輝かしい実績を誇る。しかし、西本監督は8度日本シリーズに挑戦するが、1度も勝つことができなかった。「悲運の闘将」と呼ばれるのはそのためだ。
西本監督が残したのは、球団史に残るリーグ制覇の記録だけではない。類まれな選手育成の手腕を発揮し、数々の名選手を育てあげている。13年連続盗塁王に輝いた福本豊、首位打者、打点王を獲得した加藤秀司、アンダースローとして史上最多284勝の山田久志ら球団史だけでなく、日本のプロ野球史に残る名選手を育てた功績はすばらしいものだ。
上田利治
西本監督の後を受け、阪急ブレーブスだった1974年から1978年まで、さらに1981年に復帰してオリックス・ブレーブスとなった1990年まで、計15シーズンという長期にわたって指揮を執ったのが上田利治監督だ。
上田監督が残したモノ。それは、球団史上初となる日本一に輝いた記録だろう。1975年から日本シリーズ3連覇を果たし、阪急の黄金時代を築いた。計5回のリーグ優勝とともに、3年連続日本一は球団史に燦然と輝いている。
「人を残すのが一流」
「名将」と呼ばれた野村克也氏は「金を残すのは三流、名を残すのは二流、人を残すのが一流」と説いた。オリックスの歴代監督が残してきたものは、紛れもない球団の財産だ。
低迷が続くとはいえ、山本由伸ら若手投手陣は成長著しく、豪快なフルスイングが持ち味の吉田正尚ら野手陣も成長している。蒔いた種が実を結び、花を開かせるのはいつの日か。新しい首脳陣にかかる期待は決して小さくない。
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