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燃え尽きるまで戦い抜いた松坂大輔の本心、きっかけはイチローだった

2021 7/13 06:00楊枝秀基
西武・松坂大輔,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

「ボロボロになるまでやります」

一つの時代が終わりを告げようとしている。世代ごとにプロ野球選手のスター像もそれぞれ。それは長嶋茂雄氏であり、PL学園のKKコンビであり、イチロー氏であり松坂大輔であったりする。

昭和55年生まれの人なら、野球経験がなくとも「松坂世代です」と言ったことのある人は多いはず。そういった意味でも「平成の怪物」の引退表明は世間に大きなインパクトを与えたはずだ。

2021年7月7日、西武・松坂大輔投手(40)の今季限りでの現役引退が球団から発表された。昨年7月に受けた脊椎内視鏡頚椎手術のリハビリに励んだが、術後も右手指の痺れが残った。懸命に回復に努めるも手術から1年が経過し、松坂本人が引退という決断を下した。

「僕は燃え尽きるまでやりますよ」

最後の最後までファイティングポーズを崩さなかった。高校野球の春夏連覇、NPBでの実績、五輪でのメダル、WBCでの2大会連続MVP、ワールドシリーズ制覇への貢献。ここに並べても書き切れないほど功績を残してきた。

もういいじゃないか。周囲から「晩節を汚すな」などと言われても、黙って耐えた。

「ボロボロになるまでやります」

松坂は譲らなかった。そして、その言葉の通りに右手の感覚がなくなるまで意地を張り続けた。ここまで野球に命を張ったとなれば立派だ。

レオ党に恩返しするため古巣・西武に復帰

2014年オフに日本球界復帰を決め、2015年からはソフトバンクのユニホームに袖を通した。だが、ここからが故障との戦いだった。

右肩を痛め、所属した3年間での1軍登板は1試合のみ。期待を裏切ってしまう形で福岡の地を去った。

それでも17年には右肩の状態が回復。ありとあらゆる情報を頼り治療を続けた結果、復帰への手応えを掴んだ。

そしてそのオフ、西武時代の恩師でもあった中日・森繁和監督の声かけもあり、ドラゴンズにテスト入団。2018年は中日の99番を背負い6勝を挙げてカムバック賞に輝いた。

そして、最後にレオ党に恩返ししようと2020年から古巣・西武に復帰した。ここまで1、2軍を通じて公式戦未登板となってしまってはいる。だが、最後は西武でという松坂の気持ちはファンに届いただろう。

「後悔などあろうはずがない」イチローの言葉に刺激

若かりし日々、松坂世代と呼ばれることについて「そこまで意識することはない。僕たちのように高校からプロ入りする選手もいれば、これから大学や社会人を経てプロ入りしてくるライバルもいますから。そういう時に、もう追いつけないくらい先を走ってなきゃというのはあります」と話していた。

最初は意識しなかった。それでも先に野球界を去っていく仲間たちが夢の続きを「怪物」に託してきた。若き日は世代の代表とされることを重荷と感じたこともあった。だが、年齢を重ねるごとにそれが「天命」へと変わっていった。

「松坂世代」で最も野球の神様に気に入られてしまった男の使命。「同い年のみんなの中で自分が最後まで現役でいようと思う」と、燃え尽きるまでマウンドに立つことを覚悟した。

イチローの引退会見の模様を振り返り「後悔などあろうはずがない」という言葉に刺激を受けた。当時の松坂は「僕もそんな風に思えることができるかな。今のままじゃ、まだそういう風には言えないなあ。そうなれるように僕もやらなきゃ」と話していた。

メットライフのマウンドで西武ファンの前で白星をという目標は果たせなかったかもしれない。不完全燃焼に見えてしまうファンが多いことは想像に難くない。松坂からすれば「後悔などあろうはずがない」とは言えないだろう。

それでも世間がもう何を松坂に望むことができるだろうか。「時代のアイコン」としての役割は十分過ぎるくらいに果たしただろう。18歳の少年時代から、常に何かを背負ったまま23年の現役生活を全うした。その背中に送る言葉は一つしかない。

「ありがとう」

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