10選手が計12度の本塁打王に輝く
プロ野球の2020年シーズンもいよいよ終盤戦。ペナントの行方とともに気になるのが個人タイトル争いだ。
1950年の2リーグ分立以降で個人タイトルを獲得した選手数を球団別に調べてみた。本塁打王は下表の通りとなっている。
本塁打王のタイトルを獲得した選手が最も多い球団は、10人の中日と日本ハム。今回は日本ハム(前身球団含む)の歴代本塁打王を振り返ってみたい。なお、1952年のシーズン開幕直後に西鉄から東急に移籍してタイトルを獲得した深見安博は東急のみでカウントしている。
東急の大下弘、西鉄&東急の深見安博、東映の大杉勝男
2リーグ分立後、初めて本塁打王に輝いたのが「青バット」で人気を博した東急フライヤーズ・大下弘だった。
1リーグ時代の1946年に20本塁打、翌1947年に17本塁打でタイトル獲得していた大下は、2リーグ分立2年目の1951年に26本塁打で自身3度目の本塁打王。翌1952年から西鉄に移籍し、引退するまで通算201本塁打をマークした。
深見安博は1952年のシーズン開幕後、大下弘との交換トレードで緒方俊明とともに西鉄から東急に移籍。西鉄で2本、東急で23本の計25本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得した。2球団にまたがる本塁打王は史上唯一となっている。
1965年、東映にテスト入団した大杉勝男は1970年に44本塁打、129打点で二冠王に輝き、翌1970年も41本を放って2年連続本塁打王に輝いた。1975年からヤクルトに移籍し、通算486本塁打をマーク。1970年に記録した15犠飛は、現在も1シーズン最多記録となっている。
4打数連発のソレイタ、4打席連発のウィルソン
ボビー・ミッチェルは1976年に日本ハム入団。来日3年目の1978年に36本塁打でタイトル獲得した。在籍4年でNPB通算113本塁打をマークしている。
トニー・ソレイタは1980年に来日すると、4月20日の南海戦で巨人・王貞治以来、パ・リーグ初となる1試合4打数連続本塁打(死球挟む)を放つなど、1年目から45本塁打をマーク。2年目の1981年に44本塁打、108打点で二冠王に輝いた。1983年に退団するまで計4年で155本塁打をマークしている。
ナイジェル・ウィルソンは1997年に日本ハム入団し、6月21日の近鉄戦で王貞治以来の1試合4打席連続本塁打をマーク。この年は37本塁打でタイトル獲得すると、翌1998年は33本塁打、124打点で二冠王に輝いた。2002年には近鉄でプレーし、NPB計6年で通算119本塁打を放っている。
スイッチヒッターのフェルナンド・セギノールは2002年にオリックス入りし、2試合連続左右両打席本塁打を記録するなど23本塁打。翌年はヤンキース3Aでプレーし、2004年に日本ハムに入団すると44本塁打でタイトル獲得した。その後、楽天、2度目のオリックスと移り、NPB通算172本塁打を放った。