近鉄は5選手が計11度、楽天は山崎武司のみ
プロ野球の2020年シーズンもいよいよ終盤戦。ペナントの行方とともに気になるのが個人タイトル争いだ。
1950年の2リーグ分立以降で個人タイトルを獲得した選手数を球団別に調べてみた。本塁打王は下表の通りとなっている。
本塁打王のタイトルを獲得した選手が最も多い球団は中日と日本ハム。近鉄は5人、楽天は1人が本塁打王に輝いている。今回は近鉄と楽天の歴代本塁打王を振り返ってみたい。
プロ野球の2020年シーズンもいよいよ終盤戦。ペナントの行方とともに気になるのが個人タイトル争いだ。
1950年の2リーグ分立以降で個人タイトルを獲得した選手数を球団別に調べてみた。本塁打王は下表の通りとなっている。
本塁打王のタイトルを獲得した選手が最も多い球団は中日と日本ハム。近鉄は5人、楽天は1人が本塁打王に輝いている。今回は近鉄と楽天の歴代本塁打王を振り返ってみたい。
近鉄で初めて本塁打王に輝いたのが、クラレンス・ジョーンズだった。
1970年に南海に入団したジョーンズは3年連続30本塁打以上を記録し、1974年に近鉄に移籍。新天地1年目で38本塁打を放ち、初めてのタイトルを獲得した。さらに1976年には36本で2度目の本塁打王。1977年に退団するまでNPB通算246本塁打をマークしている。
「赤鬼」の異名をとったチャーリー・マニエルは1976年にヤクルト入団し、1978年に打率.312、39本塁打、107打点でヤクルトの初優勝に貢献。同年オフにトレードで近鉄に移籍すると、1979年に37本塁打でタイトル獲得し、リーグ優勝に貢献。さらに翌1980年には48本塁打、129打点で二冠王に輝き、リーグ連覇に導いた。1981年はヤクルトに復帰し、NPB計6年で通算189本塁打をマークしている。
1988年に中日入りしたものの、外国人枠の関係で2軍暮らしの続いていたラルフ・ブライアントは、シーズン中の金銭トレードで近鉄に移籍。すると74試合で34本塁打を放つ大活躍を見せ、チームも優勝にあと一歩まで迫ったが、「10・19」のダブルヘッダー2試合目で夢ついえた。
翌1989年は49本塁打で初タイトルを獲得し、チームの優勝に貢献。1993年には42本、107打点で二冠王、1994年にも35本塁打で計3度のキングに輝いた。1995年に退団するまでNPB通算259本塁打を放っている。
2001年の近鉄最後の優勝に大きく貢献した中村紀洋とタフィ・ローズはともに本塁打王に輝いている。中村は渋谷高(大阪)から1991年ドラフト4位で近鉄入団し、2000年に39本塁打、110打点で二冠王。優勝した2001年も132打点で2年連続打点王に輝いた。
1996年に来日したローズは1999年に40本塁打、101打点で二冠王。優勝した2001年は当時日本タイ記録の55本塁打で2度目のキング、2003年にも51本を放って計3度の本塁打王に輝いた。
その後、近鉄が消滅したためともに移籍したが、2人合わせてNPB通算868本塁打。奇しくも王貞治と同じ本塁打数をマークしており、まさに「いてまえ打線」を象徴する両スラッガーだった。
楽天で唯一、本塁打王に輝いたのが山﨑武司だ。
愛工大名電から1986年ドラフト2位で中日入りし、1996年に39本塁打で初タイトル。その後、オリックス、楽天と移り、2007年に43本塁打、108打点で二冠王に輝いた。2013年に引退するまで通算403本塁打をマークしている。
現在、キングの座を争っている浅村栄斗が球団2人目となるか注目される。
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