10選手が計11度の本塁打王に輝く
プロ野球の2020年シーズンもいよいよ終盤戦。ペナントの行方とともに気になるのが個人タイトル争いだ。
1950年の2リーグ分立以降で個人タイトルを獲得した選手数を球団別に調べてみた。本塁打王は下表の通りとなっている。
本塁打王のタイトルを獲得した選手が最も多い球団は中日と日本ハム。中日は実に10選手が11度もキングの座に就いている。今回は中日の歴代本塁打王を振り返ってみたい。
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1950年の2リーグ分立以降で個人タイトルを獲得した選手数を球団別に調べてみた。本塁打王は下表の通りとなっている。
本塁打王のタイトルを獲得した選手が最も多い球団は中日と日本ハム。中日は実に10選手が11度もキングの座に就いている。今回は中日の歴代本塁打王を振り返ってみたい。
2リーグ分立後、中日で初めて本塁打王に輝いたのが杉山悟だ。
1948年に中日入団した杉山は、1952年に27本塁打でタイトル獲得。近鉄に移籍した1960年に引退するまで通算209本塁打を放った。
早稲田大から1958年に中日入りした森徹は、2年目の1959年に31本塁打、87打点で二冠王。その後、大洋、東京と移り、通算189本塁打を放った。
森以降、20年以上も本塁打王は出現しなかったが、1983年に大島康徳が36本塁打でタイトルを獲得。大島は通算382本塁打をマークし、引退後は日本ハムの監督も務めた。
プロ野球史上唯一、ショートで本塁打王に輝いたのが宇野勝だ。大島がタイトルを獲得した翌1984年、37本塁打をマーク。引退までに通算338本塁打を放った。
ロッテ時代に3度の三冠王に輝いた落合博満は、1990年に34本塁打、102打点で二冠王、翌1991年にも37本塁打で中日時代2度目の本塁打王となった。その後、巨人、日本ハムと移り、通算510本塁打をマークしている。
台湾出身の大豊泰昭は、名商大から中日球団職員を経て1988年ドラフト2位で中日入り。1994年に38本塁打、107打点で二冠王に輝いた。引退までに通算277本塁打をマークしている。
愛工大名電から1986年ドラフト2位で中日入団した山崎武司は、1996年に39本塁打でタイトル獲得。楽天時代の2007年にも43本塁打、108打点で二冠王に輝き、落合、タフィ・ローズに次ぐ史上3人目の両リーグ本塁打王となった。
2003年に来日し、横浜入りしたタイロン・ウッズは2年連続本塁打王に輝き、2004年オフに中日移籍。2006年に47本塁打、144打点で二冠王に輝いた。NPB計6年で通算240本塁打をマークしている。
ウッズに代わる大砲助っ人として中日入団したトニ・ブランコは、来日1年目の2009年に39本塁打、110打点でいきなり二冠王。その後、DeNA、オリックスでもプレーし、NPB通算181本塁打をマークした。
2017年に中日入団したアレックス・ゲレーロは、球団新記録の6試合連続本塁打を放つなど35本塁打でタイトル獲得。翌年から2年は巨人でプレーし、NPB通算71本塁打をマークしている。
21世紀に入ってからホームランキングに就いたのは外国人ばかり。本拠地が広いナゴヤドームではあるが、山崎以来の日本人本塁打王の誕生が待たれる。
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