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見かけとは違う?日本でもメジャーでも苦労している男「岩隈久志選手」

2017 8/17 16:25cut
mlb,seattle
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合併騒動ではオリックスを拒否

2004年シーズン中に持ち上がった近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブの球団合併に基づく球界再編騒動。岩隈久志選手はその渦中である近鉄に所属していたことで大きく騒動に巻き込まれる。
シーズン中には当時近鉄の選手会長だった礒部公一選手とともに署名活動を行うなど野球外の行動に時間を取られ疲弊していた。
しかし、そのような状況の中でも岩隈選手は15勝2敗の成績を残し最多勝などのタイトルを獲得する。
2004年シーズンオフに近鉄、オリックス・の合併、新規球団である東北楽天ゴールデンイーグルスの設立が決まる。
その後、分配ドラフトが行われることになるが岩隈選手はオリックス入を拒否。その後の、岩隈選手とオリックスでの交渉も不調に終わる。
岩隈選手は「わがまま」との批判を受けることもありったが当時の選手会は岩隈選手を支持しており最終的にオリックスから楽天への金銭トレードという形が取られた。

フォーム変更を余儀なくされた二段モーションの禁止

岩隈選手は近鉄時代から「二段モーション」と呼ばれる投球フォームで戦っていた。1990年代、2000年代前半は二段モーションで投げる選手は多く、岩隈選手以外にも三浦大輔選手(元DeNA)、藤川球児選手(阪神)、松坂大輔選手(ソフトバンク)、斉藤和巳選手(元ソフトバンク)などが取り入れてる。
二段モーションは国際的には禁止されておりNPBでも2006年から厳格に取り締まるようになったのだ。このルール変更により岩隈選手をはじめとした各投手達はフォームの変更を余儀なくされてしまう。
岩隈選手にとってフォーム変更による代償は大きく、二段モーション厳格化の適用1年目となる2006年はフォームを固めることができない。慣れ親しんだフォームの変更はプロ野球選手にとって死活問題だ。春のキャンプだけでは間に合わずまた、右肩痛の影響もあり開幕ローテーションから外れる。
この年、岩隈選手は夏場まで二軍で調整を行い9試合に登板。34.1イニングで防御率4.46の成績だった。四球も16個出しており2イニングに1個と岩隈選手らしくない投球が続く。
8月末に一軍復帰後6試合で1勝2敗の成績を残すが岩隈選手らしからぬ投球だった。やはり、フォーム修正が大きく響いていたのだ。
しかし、2007年はフォーム修正が順調に行われ開幕投手を務める。故障もありシーズンを通して働くことはできなかったが復活を果たしたのだ。

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