武豊騎手が最多5勝、馬券圏内8回もNo.1
今週はプロキオンSが開催される。当レースは1996年に阪神ダ1400mの重賞として新設(それまでは同名のオープンレースとして行われていた)され、2012年からは開催地を中京に移し、ダートの強豪が集まる一戦として続いてきた(※06年と11年は京都ダ1400mで、21年と22年、24年は小倉ダ1700mで開催)。
今年からは東海Sと「開催時期、競走条件」を入れ替える形になり、フェブラリーSの前哨戦の1800m戦として行われる。今回は、東海Sではなく重賞としてのプロキオンSの記録を振り返る。
まずは過去のプロキオンSにおいて、馬券圏内に多く食い込んだ騎手をランキングにすると以下の通りとなる。
1位 8回 武豊騎手
2位 6回 福永祐一騎手
3位 5回 和田竜二騎手
4位 4回 川田将雅騎手、岩田康誠騎手
4位タイの川田騎手は16年にキングズガードで3着に食い込んだことを皮切りに、翌年には8歳馬ブライトラインで再び3着に食い込み、23年にはリメイクを2着に導いた。
初勝利は22年。4番人気ゲンパチルシファーとのコンビで早めに仕掛けると、人気薄の2頭(14番人気ヒストリーメイカー、12番人気サクラアリュール)を引き連れ勝利した。三連単は7196.5倍の大波乱となっている。
ゲンパチルシファーはその次走としてシリウスSに出走登録していたが、右後肢にフレグモーネを発症し回避。以降は長らく馬券内から遠ざかったが、引退が近づいた24年夏にBSN賞(L)で11番人気2着と好走。再び波乱を巻き起こした。
同じく4位タイの岩田康誠騎手。こちらは08年ワイルドワンダー、13年セイクリムズン、16年ニシケンモノノフと2着が3回ある。
そんな同騎手のプロキオンS初勝利はケイアイガーベラとコンビを組んだ2010年。逃げて上がり3F最速、牝馬ながら2着に4馬身差をつける圧勝だった。
ダートの一流牡馬との戦いで圧倒的な能力を見せつけたケイアイガーベラは、引退後に母としてNHKマイルC勝ち馬ケイアイノーテック、海外GⅠ馬フィアースインパクトなどを送った。
3位の和田竜二騎手は阪神ダ1400m、京都ダ1400m、中京ダ1400m、小倉ダ1700mと、様々な条件のプロキオンSで馬券圏内に食い込んでいる。
特に21年の小倉で行われたプロキオンSでは、14番人気トップウイナーを2着に粘らせる好騎乗。この年は1番人気サンライズホープが6着、2番人気ウェスタールンドが7着といずれも馬券圏外に敗れ、9番人気以下が上位を占めたことで、三連単は19441.4倍という大波乱となった。
ちなみに、当時のトップウイナーはプロキオンSの前走が目黒記念(16番人気16着)。まさに異例のローテで好走を果たしている。
2位の福永騎手は02年、03年にスターリングローズで連勝。4歳春(現3歳春)には芝の若草Sで1着アグネスフライト、5着タップダンスシチーといったのちのGⅠ馬たちに挟まれる形の3着に好走したこともあった。
01年の夏には芝でも勝利をあげたが、以降はダートに専念。重賞初挑戦となったシリウスSでいきなり3着に食い込んだ。重賞初制覇が02年のプロキオンSで、翌年に連覇するまでの間にJBCスプリントやかしわ記念を制するなど、ダート界をけん引した。
引退後に種牡馬となったスターリングローズはアスカクリチャンなどを輩出。同馬はアルゼンチン共和国杯や七夕賞を勝利するなど、高い芝適性を見せた。
そして1位の武豊騎手は97年バトルライン、00年ゴールドティアラ、09年ランザローテ、18年マテラスカイ、そして24年ヤマニンウルスと同レースを5勝している。
00年のゴールドティアラは同年のマイルチャンピオンシップ南部杯を制するなど、牝馬ながら牡馬と互角以上の戦いを繰り広げた名牝。引退後は繁殖牝馬としても活躍し、孫世代にはジュンブロッサム、ステファノスと2頭の富士S勝ち馬をはじめ、トライフォーリアルやフィニフティといった重賞好走馬がいる。
また、18年の勝ち馬マテラスカイは1分20秒3という脅威のタイムで勝利。当時のダート1400m日本レコードを1秒2も更新する走りで、同レースではインカンテーションなどの実力馬に4馬身差をつける完勝だった。
ドバイ・ゴールデンシャヒーン2着やアメリカ・BCスプリント5着など海外遠征も積極的に挑戦した名馬であったが、昨年6月に結腸捻転のため10歳の若さで急逝した。遺した3世代のうち、初年度産駒は今年デビューを迎える。