「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

メジャーで安定した成績を残し続ける上原浩治選手の凄さ

2017 8/17 16:20cut
cubs、mlb
このエントリーをはてなブックマークに追加

圧倒的だった巨人1年目

東海大仰星高校から浪人を経て大阪体育大学へ入学した上原浩治選手。大学3年時に参加した日米大学野球選手権で好投をみせ、ドラフト時にはメジャーリーグ志望を打ち出し日米を含めた争奪戦となった。最終的には巨人を逆指名し、1998年のドラフトで入団を果たす。
入団一年目の上原選手は新人離れした投球を見せ、15連勝を記録するなど20勝4敗、防御率2.09という圧巻の成績を残し、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、新人王、沢村賞など様々なタイトルを独占した。
上原選手の登板日は20時半には試合が終わっており、相手チームファンからは絶望感が漂い巨人で長きに渡りエースを務めた斎藤雅樹選手(現巨人二軍監督)を彷彿させた。
上原選手の「雑草魂」という言葉がパ・リーグの新人王松坂大輔選手(当時西武)の「リベンジ」とともに流行語大賞にも選ばれるなどまさに1年目は上原選手にとって最高のものとなる。
しかし、日本時代の上原選手は1年目がピークの成績となりこれ以上の成績を残すことはできなかった。2002年に17勝を挙げ最多勝を獲得しても、1年目を見ているファンからすると物足りなかったかもしれない。
2007年には自身の故障、そして、チーム事情もありクローザーを経験。32セーブを挙げリリーフ適性を示した。翌2008年は先発、リリーフ両方をこなし北京オリンピックにも出場。満身創痍の中シーズンを戦い抜きオフにFA宣言をしメジャーリーグ挑戦を目指した。

海外FAでメジャー移籍しオリオールズへ

2008年オフに巨人からFA宣言をした上原選手はオリオールズと2年契約を結ぶ。オリオールズには日本人選手が在籍したことはなく上原選手が初めての日本人選手となった。
上原選手はスプリングトレーニングを順調に過ごし開幕ローテーションを掴む。上原選手のデビュー戦は開幕2戦目となるヤンキース戦だった。この試合でヤンキースの4番に座っていたのは巨人時代にチームメートとして共に戦った松井秀喜選手だ。
注目の松井選手と対戦は初回に訪れた。2死一塁で松井選手を迎えるとカウント2-2からセカンドゴロに抑え上原選手に軍配は上がる。この試合で上原選手は5回1失点とヤンキース打線を抑え初登板を初勝利をマークした。
以降、DL入をしながらも前半戦を乗り越えるがヒジの故障が重く12試合の登板でシーズンを終えることになった。2年目は開幕で出遅れるものの43試合全てにリリーフ登板を果たし安定した成績を残した。この2年目のリリーフでの安定した成績がメジャーリーガーとしての上原選手を確立させたともいえるだろう。
先発時は見せることのできなかったパフォーマンスを見せるようになりシーズン終盤にはクローザーも任される。最終的には43試合に登板し防御率2.86の成績を残した。
3年目は出遅れること無く開幕からベンチに入りセットアッパーとして起用される。前半戦順調に過ごし迎えたトレードデッドライン間際に上原選手は自身初めてのトレードを経験することになった。
プレーオフが絶望的となっていたオリオールズから優勝争いを繰り広げていたレンジャーズへ移籍することになるのだ。メジャーリーグでは日本と違い優勝の可能性がなくなると優秀な成績を残している選手はトレードで優勝争いを繰り広げるチームへと移籍することが頻繁に起こる。
上原選手も優勝への「ワンピース」としてレンジャーズから招かれたのだ。レンジャーズには東海大仰星高校時代のチームメート建山義紀選手も在籍していた。

おすすめの記事