2005年にサッカー日本代表の取材でウクライナを訪問
世界中の視線が今、東欧の一国に集中している。2月24日、ロシアが隣国のウクライナに侵攻。複数の都市で軍事施設やインフラにミサイルを撃ち込み、すでに死者、負傷者が多数出ている。
テレビやインターネットで繰り返し流される軍事活動の映像。北京五輪でアスリートから受け取った「喜び」や「感動」は、両手からこぼれ落ちる砂のように、どこかに消えてしまった。
現地から届くニュースを耳にすると、少しセピア色になった記憶が甦る。サッカー日本代表のアウェー戦を取材するため、2005年10月にラトビア、そしてウクライナにトータル10日間滞在。旧ソ連の国を訪問するのは初めてで、記者としての使命より、旅人としての好奇心が上回っていたことをここで白状しておく。
タクシー運転手に聞いた「道路が広い理由」とは?
ウクライナに対して、今も残るイメージは「古い」、そして「大きい」だ。首都キエフで滞在したのは、現地でもトップクラスの高級ホテル。部屋に入った瞬間、長年使われていない空間に入ったようなカビ臭が鼻腔を刺激した。
浴室を覗くと、立派な作りのバスタブなのに、水回りなどに錆がついている。試しにひねったシャワーからは水だけが音を立てて流れ落ちた。他の記者に聞くと、部屋の鍵がどうしてもかからないという。直前に滞在したラトビア・リガのホテルが快適だっただけに、5泊のスケジュールが一気に長く感じたのを思い出す。
「古さ」に少し滅入った心を立て直すため、外へ出てみたら、今度は「大きさ」に圧倒された。とにかく、すべての建物が日本で絶対に見られない規格なのだ。ホテル近くにある電話局の建物は、1階の天井部分まで約4メートル。窓や柱も、宮殿を思わせるほどの迫力を見る者に与えた。
さらに印象的だったのは、道路の幅。名古屋自慢の「100メートル道路」を見慣れていても、受けたインパクトは異質だった。10メートルを超える幅を持つ歩道なんて、これから先、見られるかどうか分からない。
だだっ広い道路は走る車の数が少なく、ほとんどが年季の入った旧ソ連製と思しき代物。1台のタクシーを止めて、相手国ウクライナの練習取材に向かう途中、さっそく運転手さんに抱いた質問をぶつけてみた。
「道がこんなに広い理由?もしもの時に、この道は戦車が走るし、戦闘機の滑走路にもなるからだよ」。平和が当たり前の国に生まれ育った身にとっては、思いも寄らない答えに衝撃を受け、このやり取りだけは忘れることはない。17年後の悲劇など、想像できるはずもなく…。
肝心の試合は、雨の記憶が一番強い。古めかしい五輪スタジアムは90分間、雨雲で煙り、慣れないピッチに加え、スリッピーな足下が日本代表の「自由」を奪っているかのようだった。
ドイツW杯出場を決めた両雄の対決は、PKによる1点を守り、ウクライナが1―0で勝利。絶対エースのシェフチェンコ(当時ACミラン)は欠場し、世界基準のストライカー封じを目論んだ日本は完全に肩すかしを食らった。テーマがボヤけた一戦は、何とも言えない消化不良感を残していた。
シェフチェンコもSNSで声明
今、テレビに映るキエフの緊迫感と、あの日歩いた平和な街がどうしても結びつかない。
日本戦で不在だったエースストライカーはSNSで「戦争は必要ない」と声明を発表し、UEFA(欧州サッカー連盟)は、欧州チャンピオンズリーグ決勝(5月28日)の舞台をロシアのサンクトペテルブルクからパリに移すことを決めた。
ウクライナ代表のマリノフスキー(オリンピアコス)はゴール後、ユニホームの下に着込んだTシャツに書かれた「NO WAR IN UKRAINE」のメッセージを見せる反戦パフォーマンス。「スポーツと政治が別物」のスローガンは、もはや絵空事でしかない。
世界最大のスポーツの祭典が幕を下ろすのを待っていたかのような事変。尊い命が失われる前に、事態が収束するのを祈ることしかできない。
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