プロ野球における背番号42の名選手たち|【SPAIA】スパイア

「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

プロ野球における背番号42の名選手たち


2017年現役選手の背番号「42」

2017年各球団の背番号「42」は下記の選手が背負っていた。

日本ハム:黒羽根利規選手(捕手)
ソフトバンク:飯田優也選手(投手)
ロッテ:パラデス選手(内野手)
西武:不在
楽天:ハーマン選手(投手)
オリックス:ヘルメン選手(投手)
広島:ジョンソン選手(投手)
巨人:山口俊選手(投手)
DeNA:エリアン選手(内野手)
阪神:竹安大知選手(投手)
ヤクルト:坂口智隆選手(外野手)
中日:ゲレーロ選手(内野手)

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:1球団
内野手:3球団
外野手:1球団


外国人選手の着用が多くなっている背番号「42」。2017年シーズンも12球団中6球団が外国人選手の番号となっている。ロッテ、楽天、オリックス、中日の4球団は新外国人選手へこの番号を託した。メジャーリーグでは全球団が永久欠番となっていることもあり、日本ではこの番号を選ぶ選手が多い。

北海道日本ハムファイターズの黒羽根利規選手は、今シーズン途中に横浜DeNAベイスターズから移籍してこの番号となった。日本ハムでは黒羽根選手以前にエドウィン・エスコバー選手が着用。背番号の空きが少ないためにこの番号を背負うことになったのだ。

メジャー全球団で永久欠番となっているジャッキー・ロビンソン選手

メジャーリーグにおいて背番号「42」は全球団共通の永久欠番となっている。黒人選手として初めてメジャーリーガーになったジャッキー・ロビンソン選手がそのルーツだ。ロビンソン選手はまだ人種差別の激しかった1947年にブルックリンドジャースでメジャーデビュー。その年に盗塁王に輝くと1949年には首位打者にも輝くなど、1956年まで10年間プレーした。

ロビンソン選手はファンからヤジを受けた。他チームには一緒のグラウンドをプレーすることを拒む選手もいたほどだった。そのような状況にもロビンソンは耐え忍びながら結果を残したのである。

このロビンソン選手の功績を讃え、現役時代に着用していた背番号「42」が全球団共通の永久欠番となったのだ。また、メジャーデビューを果たした4月15日をジャッキー・ロビンソンデーと称し全球団、全選手が背番号「42」をつけてプレーするようになった。

日本に来る外国人選手が背番号「42」を着用することが多いのにはこのような理由があったのだ。

メジャーリーグ最後の背番号「42」マリアノ・リベラ選手

ジャッキー・ロビンソン選手のメジャーデビュー50周年の1997年4月15日。全球団の背番号「42」が永久欠番となった。着用を許されたのはその時点で「42」を背負っていた選手だけだ。そのひとりがマリアノ・リベラ選手だった。ニューヨーク・ヤンキースの守護神として活躍したリベラ選手も1997年開幕当時、実績はまだなかった。

この年に抑えを任され43セーブをあげたことで、史上最高のクローザーへの道を歩むことになったのだ。2011年まで15年連続30セーブ以上をマーク。最多セーブを3度記録し、2013年の現役引退時までに積み上げたセーブの数は652。これはメジャーリーグ史上最多となっている。また、ポストシーズン通算42セーブも歴代最多だ。

移籍市場が活発なメジャーリーグにおいてリベラ選手はヤンキース一筋でプレー。ヤンキースタジアムの9回表に登場曲であるMetallicaの「 Enter Sandman」が流れるとスタジアムのファンは勝利を確信した。それほどまでに絶対的守護神だったのだ。

今後、リベラ選手を超えるクローザーの登場はしばらくなさそうだ。

阪神の監督も務めた真弓明信選手

日本人選手で背番号「42」を背負い実績を残した者は多くない。「42」が「死」を連想させるために、空き番号となっていることも多かったからだ。そのなかで背番号「42」を背負い、飛躍を遂げた選手がいる。阪神タイガースの監督も務めた真弓明信選手だ。

1972年ドラフト3位で社会人野球の電電九州から太平洋クラブライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団した真弓選手は背番号「2」でプロ野球人生を歩み始める。翌1974年に背番号「42」へ変更すると徐々に出場試合数を増やし、1980年にはレギュラーとして118試合に出場。打率.280(418打数117安打)、8本塁打、38打点の成績を残す。そのオフに真弓選手は阪神へとトレードされた。
このトレードは「世紀のトレード」とも呼ばれており、阪神からは田淵幸一選手、古沢憲司選手が西武ライオンズ(この年に西武が買収)へ真弓選手、武田和史選手、竹之内雅史選手、若菜嘉晴選手が阪神へと移籍している。阪神においては背番号「7」となった。

この移籍が真弓選手の転機となり1983年には打率.,353(448打数158安打)で首位打者を獲得。1985年には一番打者として打率.322(497打数160安打)、34本塁打、84打点の成績を残し日本一に貢献。恐怖の一番打者として君臨した。

現役引退後は2009年から2011年までの3年間にわたり阪神の監督を務めている。

楽天の背番号42は外国人選手のみ

2005年に新球団として誕生した東北楽天ゴールデンイーグルス。歴史が浅いということもあり、創設当初から背番号「42」は外国人選手しか着用していない。2017年シーズンまでの13シーズンで既に11選手がつけており、入れ替わりの激しい番号となっている。
2年連続でこの番号を身につけたのはマーカス・グウィン選手(2008年、2009年)、ケルビン・ヒメネス選手(2011年、2012年)のふたりだけだ。「42」を与えると複数年在籍する可能性が低くなってしまうかもしれない。

アンドリュー・ジョンズ選手、ケビン・ユーキリス選手といった大物外国人選手を獲得する楽天だが背番号に注目したい。

【楽天の背番号42】

2005年:ルイス・ロペス選手
2006年:ホセ・フェルナンデス選手
2007年:ケビン・ウィット選手
2008年:マーカス・グウィン選手
2009年:マーカス・グウィン選手
2010年:ランディ・ルイーズ選手
2011年:ケルビン・ヒメネス選手
2012年:ケルビン・ヒメネス選手
2013年:ケニー・レイ選手
2014年:ジョン・ボウカー選手
2015年:ウィリー・モー・ペーニャ選手
2016年:ジェフェット・アマダー選手
2017年:フランク・ハーマン選手

おすすめの記事

関連記事

プロ野球 試合経過・結果

セ・リーグ

パ・リーグ

{{league_title}}

  • 本日開催される試合はありません

B1 順位表

東地区
中地区
西地区
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}

プロ野球 OPS順位

セ・リーグ
パ・リーグ
 選手名・所属チームOPS 
{{index + 1}}{{item.raw.Name}}{{item.raw['ShortName-Team']}}{{item.metrics.ops.toFixed(3)}}{{item.metrics.ops.toFixed(3).substring(1)}}
 選手名・所属チームOPS 
{{index + 1}}{{item.raw.Name}}{{item.raw['ShortName-Team']}}{{item.metrics.ops.toFixed(3)}}{{item.metrics.ops.toFixed(3).substring(1)}}

人気記事ランキング

関連記事

SPAIA スポーツコラム ライター募集中!