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投手多いが、野手にも名選手!プロ野球における背番号41の選手たち

2020 7/28 17:30SPAIA編集部
ヤクルト・雄平(左)と阪神・ボーアⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「41」

2020年各球団の背番号「41」は下記の選手が背負っている。

西武:井上広輝投手
ソフトバンク:千賀滉大投手
楽天:青山浩二投手
ロッテ:成田翔投手
日本ハム:ブライアン・ロドリゲス投手
オリックス:佐野皓大外野手
巨人:中川皓太投手
DeNA:櫻井周斗投手
阪神:ジャスティン・ボーア内野手
広島:藤井皓哉投手
中日:勝野昌慶投手
ヤクルト:雄平外野手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:9球団
捕手:0球団
内野手:1球団
外野手:2球団

投手の番号として使用されることの多い背番号「41」。2020年は千賀滉大(ソフトバンク)ら9球団で投手が着用している。雄平(ヤクルト)もプロ入り後に投手から外野手へ転向しており、「41」を背負い始めたときの登録は投手だった。

阪神は新外国人のジャスティン・ボーアが着用。オリックスは2010年2月のキャンプ中に小瀬浩之がホテルから転落死して以来、空き番になっていたが、2020年から佐野皓大が背負っている。

「平成の大エース」斎藤雅樹

2018年限りで巨人の一軍投手総合コーチを退任した斎藤雅樹氏は現役時代、背番号「41」だった。斎藤氏は1982年ドラフト1位で巨人に入団。市立川口高時代は甲子園に出場できなかったものの高い評価を受けていた。

入団時に背番号「41」を与えられ現役生活をスタートすると、2年目に一軍デビューし、4勝0敗の成績でブレイク。3年目の1985年は4完封を含む12勝をマークし、エース格へと成長した。

その後、1989年に20勝7敗、防御率1.62の好成績をマークし、沢村賞を受賞。この年に11試合連続完投勝利という日本記録も樹立している。この活躍があり背番号は「41」から「11」へと出世した。翌1990年にも20勝をマークし「平成の大エース」と称されるようになる。

2001年に現役を引退するまでに180勝、防御率2.77の成績を残した斎藤氏。沢村賞3回は史上最多タイだ。

現役引退後は指導者としてチームに残り、一、二軍投手コーチや二軍監督などを歴任。2016年オフシーズンに行われたWBSC U-23ワールドカップにおいては日本代表監督を務めた。

選手、監督、編成で西武を支える渡辺久信氏

2020年現在、西武のGMを務めている渡辺久信氏。現役時代は本格派右腕として活躍した。

1983年ドラフト1位で西武に入団すると背番号「41」を与えられる。2年目の1985年に8勝11セーブを挙げると、翌1986年には16勝、178奪三振で最多勝に輝く。以降もエース格として1980年代後半から西武の黄金時代を支えた。

また、阿波野秀幸(元近鉄他)、西崎幸広(元日本ハム他)らとともに女性ファンの人気が高かったことでも知られている。1997年に西武を退団、現役晩年はヤクルト、さらに台湾に渡って最多勝を獲得するなどの実績を残し、2001年に現役引退した。

その後、指導者として古巣の西武に復帰し、2008年から監督就任。その時の背番号は「41」ではなく「99」だった。2013年に監督を退いた後はフロント入りしてチームを支えている。

渡辺氏以後、西武の「41」は鳥谷部健一、後藤光貴、木村文和、相内誠と受け継がれ、2020年からドラフト6位で入団した井上広輝が背負っている。渡辺氏を超える選手の誕生が待たれる。

中日の背番号「41」から2人のレジェンド誕生

中日におけるレジェンドのひとりでもある高木守道氏。「ミスタードラゴンズ」と呼ばれ、通算2274安打を放って名球会入りも果たしている。盗塁王に3度輝くなど走攻守と三拍子揃った名二塁手だった。

高木氏は背番号「1」のイメージが強いが、入団当初は「41」だった。1960年に中日へ入団して「41」を背負うと、初打席初本塁打を放つなど1年目から一定の成績を残し、1962年まで3年間この番号を着用している。

高木氏の後に6選手が着用し、1976年から谷沢健一氏が「41」を背負った。早稲田大学から1969年ドラフト1位で中日に入団した当初に背負ったのは「14」。1年目の1970年からレギュラーを獲得し、1972年から1975年まで4年連続打率2割9分台と、打率3割にあと一歩届かない成績が続いていた。

しかし、1976年に背番号を「41」に変更すると、打率.355で首位打者を獲得。その後、アキレス腱断裂の大けがを負うも1980年に打率.369で2度目の首位打者を獲得し、カムバック賞も受賞した。1986年に引退するまでに積み上げた安打は2062本。球団では高木氏に続いての名球会入りとなった。

現在、中日の背番号「41」は2018年ドラフト3位の勝野昌慶が着用。前任の浅尾拓也に負けない活躍が期待されている。

稲葉から雄平へ受け継がれたヤクルトの背番号「41」

侍ジャパン日本代表の監督を務める稲葉篤紀氏。現役時代はヤクルト、日本ハムでプレーし、通算2167安打を記録。名球会入りも果たした名選手だった。

稲葉氏は1995年にヤクルトへ入団すると背番号「41」を与えられる。ヤクルトにおいて「41」は杉村繁現打撃コーチ、角富士夫氏らが背負っていた番号だった。

ルーキーイヤーから67試合に出場。規定打席には届かなかったものの、打率.307(215打数66安打)、8本塁打、40打点をマーク。初打席初本塁打を放つなど、期待の若手として注目を浴びる存在となった。

2年目にレギュラーを獲得し、2004年までヤクルトでプレー。同年オフにメジャーリーグを夢見てFA権を行使するが、メジャー移籍は叶わず、日本ハムに移籍した。移籍1年目の2005年こそ背番号「58」だったが、2006年からはヤクルト時代と同じ「41」を着用した。

一方、稲葉が去ったヤクルトの背番号「41」は、木田優夫、そして雄平に受け継がれている。雄平は2007年からこの番号をつけ、2010年に投手から外野手へ転向。稲葉と同じ右翼を守っている。

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