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阪神・村上頌樹が覚醒、右の好投手多数 プロ野球における背番号41の選手たち

2023 5/17 06:00SPAIA編集部
阪神の村上頌樹、広島の矢崎拓也,ⒸSPAIA
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2023年現役選手の背番号「41」

2023年各球団の背番号「41」は下記の選手が背負っている。

オリックス:佐野皓大外野手
ソフトバンク:不在
西武:井上広輝投手
楽天:伊藤茉央投手
ロッテ:ルイス・カスティーヨ投手
日本ハム:ブライアン・ロドリゲス投手

ヤクルト:柴田大地投手
DeNA:櫻井周斗投手
阪神:村上頌樹投手
巨人:中川皓太投手
広島:矢崎拓也投手
中日:勝野昌慶投手

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:10球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:1球団

今季からメジャーへ移籍した千賀滉大も昨季まで所属したソフトバンクで背負うなど、投手の番号として使用されることの多い背番号「41」。2023年も10球団で投手が着用している。今季開幕から31イニング連続無失点のセ・リーグタイ記録を達成した阪神の村上頌樹や、栗林良吏の代役守護神を務める広島の矢崎拓也など右投手の活躍が目立つ。

阪神では、これまで川尻哲郎や伊良部秀輝、上園啓史ら投手が数多く着用。2020年に加入した内野手のジャスティン・ボーアを挟んで、2021年からは村上が背負っている。

2023年から新たに着用するのは、楽天のドラフト4位ルーキーの伊藤茉央とロッテの新助っ人カスティーヨの2人。また、巨人の中川皓太、DeNAの櫻井周斗がともに2022年オフに育成契約となったため、背番号「041」への変更を余儀なくされたが、今季、支配下復帰とともに「41」を再び付けている。

なお、千賀がメジャー移籍したソフトバンクは、12球団で唯一空き番となっている。

次章以降では、背番号「41」を背負った歴代のスタープレーヤーを紹介していく。

「平成の大エース」斎藤雅樹

2018年まで巨人のコーチを務めていた斎藤雅樹氏は、1982年ドラフト1位で市立川口高から巨人に入団した。背番号41で現役生活をスタートすると、2年目に一軍デビューして4勝0敗の成績でブレイク。3年目の1985年は4完封を含む12勝をマークし、エース格へと成長した。

その後、1989年に20勝7敗、防御率1.62の好成績をマークし、沢村賞を受賞。同年には11試合連続完投勝利の日本記録も樹立している。この活躍があり背番号「41」から「11」へ変更した。翌1990年にも20勝をマークし「平成の大エース」と称されるようになる。

2001年に現役を引退するまでに180勝、防御率2.77の成績を残した斎藤氏。沢村賞3回は史上最多タイだ。

現役引退後は指導者としてチームに残り、一、二軍投手コーチや二軍監督などを歴任。2016年オフシーズンに行われたWBSC U-23ワールドカップでは日本代表監督を務めた。

選手、監督、編成で西武を支える渡辺久信氏

西武のGMを務めている渡辺久信氏は、現役時代、背番号41を背負う本格派右腕として活躍した。

1983年ドラフト1位で西武に入団。2年目の1985年に8勝11セーブを挙げると、翌1986年にはリーグ1位の16勝、178奪三振をマークして最多勝のタイトルを獲得した。以降もエース格として1980年代後半から西武の黄金時代を支えた。

また、阿波野秀幸(元近鉄他)、西崎幸広(元日本ハム他)らとともに女性ファンの人気が高かったことでも知られている。1997年に西武を退団、現役晩年はヤクルト、さらに台湾に渡って最多勝を獲得するなど実績を残し、2001年に現役引退した。

その後、指導者として古巣の西武に復帰し、2008年から監督就任。その時の背番号は「41」ではなく「99」だった。2013年に監督を退いた後はフロント入りしてチームを支えている。

渡辺氏以後、西武の「41」は鳥谷部健一、後藤光貴、木村文和、相内誠と受け継がれ、2020年からドラフト6位で入団した井上広輝が背負っている。渡辺氏を超える選手の誕生が待たれる。

中日の背番号41から2人のレジェンド誕生

中日におけるレジェンドのひとりでもある高木守道氏。「ミスタードラゴンズ」と呼ばれ、通算2274安打を放って名球会入りも果たしている。盗塁王に3度輝くなど走攻守三拍子揃った名二塁手だった。

高木氏は背番号「1」のイメージが強いが、入団当初は「41」だった。1960年に中日へ入団して「41」を背負うと、初打席初本塁打を放つなど1年目から結果を残し、1962年まで3年間この番号を着用している。

高木氏の後に6選手が着用し、1976年から谷沢健一氏が「41」を受け継いだ。早稲田大学から1969年ドラフト1位で中日に入団した当初に背負ったのは「14」。1年目の1970年からレギュラーを獲得し、1972年から1975年まで4年連続打率2割9分台と、打率3割にあと一歩届かない成績が続いていた。

しかし、1976年に背番号を「41」に変更すると、打率.355で首位打者を獲得。その後、アキレス腱断裂の大けがを負うも1980年に打率.369で2度目の首位打者を獲得し、カムバック賞も受賞した。1986年に引退するまでに積み上げた安打は2062本。球団では高木氏に続いての名球会入りとなった。

現在、中日の背番号41は2018年ドラフト3位の勝野昌慶が着用。前任の浅尾拓也に負けない活躍が期待されている。

稲葉から雄平へ受け継がれたヤクルトの背番号41

侍ジャパン日本代表の監督を務める稲葉篤紀氏。現役時代はヤクルト、日本ハムでプレーし、通算2167安打を記録。名球会入りも果たした名選手だった。

稲葉氏は1995年にヤクルトへ入団すると背番号41を与えられる。ヤクルトの「41」は杉村繁現打撃コーチ、角富士夫氏らが背負っていた番号だった。

ルーキーイヤーから67試合に出場。規定打席には届かなかったものの、打率.307(215打数66安打)、8本塁打、40打点をマーク。初打席初本塁打を放つなど、期待の若手として注目を浴びる存在となった。

2年目にレギュラーを獲得し、2004年までヤクルトでプレー。同年オフにメジャー挑戦を目指してFA宣言したが、メジャー移籍は叶わず、日本ハムに移籍した。移籍1年目の2005年こそ背番号58だったが、2006年からはヤクルト時代と同じ「41」を着用した。

一方、稲葉が去ったヤクルトの背番号41は、木田優夫、雄平が受け継ぎ、2022年から柴田大地が着用。日本通運からドラフト3位で入団した右腕の飛躍が期待される。

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