プロ野球における背番号41の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号41の名選手たち


2017年現役選手の背番号「41」

2017年各球団の背番号「41」は下記の選手が背負っていた。

日本ハム:不在
ソフトバンク:千賀滉大選手(投手)
ロッテ:成田翔選手(投手)
西武:誠選手(投手)
楽天:青山浩二選手(投手)
オリックス:不在
広島:藤井皓哉選手(投手)
巨人:不在
DeNA:大原慎司選手(投手)
阪神:髙橋聡文選手(投手)
ヤクルト:雄平選手(外野手)
中日:浅尾拓也選手(投手)

不在:3球団
永久欠番:0球団
投手:8球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:1球団

投手の番号として使用されることの多い背番号「41」。2017年は第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で活躍した千賀滉大選手(ソフトバンク)、浅尾拓也選手(中日)といったリーグを代表する選手がこの番号を背負っている。

唯一の野手である雄平選手(ヤクルト)もプロ入り後に投手から外野手へ転向しており、この番号を背負い始めたときの登録は投手だった。

「平成の大エース」斎藤雅樹選手

2017年読売ジャイアンツ二軍の指揮を執る斎藤雅樹監督。現役時代の背番号は「41」だった。斎藤選手は1982年ドラフト1位で巨人に入団。高校時代に甲子園出場はなかったものの高い評価を集めていた。入団時に背番号「41」を与えられ現役生活をスタートすることになる。
高卒ということもあり1年目に一軍昇格はなかった。2年目に一軍デビューすると4勝0敗の成績でブレイク。3年目の1985年は4完封を含む12勝をマークしエース格へと成長した。

その後、1989年に20勝7敗、防御率1.62の成績を残し沢村賞を受賞。この年に11試合連続完投勝利という日本記録も樹立している。この活躍があり背番号は「41」から「11」へと出世。変更年度となった翌1990年にも20勝をマークし『平成の大エース』と称されるようになる。

2001年に現役を引退するまでに180勝、防御率2.77の成績を残した斎藤選手。沢村賞3回は以上最多タイだ。

現役引退後は指導者としてチームに残り若手の育成を行っている。また、2016年オフシーズンに行われたWBSC U-23ワールドカップにおいては日本代表の監督を務めている。

選手、監督、編成で西武を支える渡辺久信氏

2017年現在、埼玉西武ライオンズのシニアディレクター兼編成部長を務めている渡辺久信氏。その渡辺氏は現役時代にエース格の投手として活躍していた。

1983年ドラフト1位で西武に入団すると背番号「41」を与えられる。2年目の1985年から本格的に一軍登板を果たすと1986年には16勝、178奪三振で最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得。以降もエース格として1980年代後半から黄金時代を支えていた。

また、阿波野秀幸選手(元・近鉄他)、西崎幸広選手(元・日本ハム他)らとともにトレンディエースと呼ばれていたことでも知られている。西武を1997年に退団し現役晩年はヤクルトスワローズ、台湾でもプレーし2001年に現役引退。台湾でも最多勝を獲得するなどの実績を残している。

その後、指導者として古巣の西武に復帰し、2008年から監督へ就任。その時の背番号は「41」ではなく「99」となった。2013年に監督を退いた後はフロントとしてチームを支えている。

渡辺選手以後、西武の「41」は鳥谷部健一選手、後藤光貴選手、木村文和選手、誠選手らが背負っているが大きな実績を残した選手いない。渡辺選手を超える選手の誕生が待たれている。

中日ドラゴンズの背番号「41」から2人のレジェンド誕生

中日ドラゴンズにおけるレジェンドのひとりでもある高木守道選手。「ミスタードラゴンズ」とも呼ばれ通算2274安打を放ち、名球会入りも果たしている。盗塁王に3度輝くなど走攻守と三拍子揃った二塁手だった。その高木選手は背番号「1」のイメージが強い。
しかし、入団当初は「41」だったのだ。1960年に中日へ入団し「41」を背負った高木選手。初打席初本塁打を放つなど1年目から一定の成績を残し、1962年までの3年間この番号を着用している。

その高木選手の後に6選手が着用し、1976年から谷沢健一選手がこの番号をつけることになる。早稲田大学から1969年ドラフト1位で中日へ入団した谷沢選手。1年目の1970年からレギュラーを獲得し、1972年から1975年まで4年連続打率2割9分台を記録。一流選手の証でもある打率3割にあと一歩どどかない成績が続いていた。

しかし、1976年に背番号を「41」へと変更すると打率.355で首位打者を獲得する。それ以降アキレス腱断裂の大けがを負うも1980年に復活。打率.369で2度目の首位打者を獲得しカムバック賞も受賞した。1986年に引退するまでに積み上げた安打は2062本。高木選手に続いての名球会入りとなった。

現在、中日の背番号「41」は投手の浅尾拓也選手が着用中。右肩の故障から完全復活とはなっていないが、谷沢選手のように復活することを期待したい。

稲葉選手から雄平選手へ受け継がれたヤクルトの背番号「41」

侍ジャパン日本代表の監督に就任した稲葉篤紀氏。現役時代はヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズでプレーし通算2167安打を記録。名球会入りも果たした名選手だ。

稲葉選手は1995年にヤクルトへ入団すると背番号「41」を与えられる。ヤクルトにおいて「41」は杉村繁選手(現・打撃コーチ)、角富士夫選手らが背負っていた番号でもあった。ルーキーイヤーから試合に出場し67試合に出場。規定打席には届いていないものの打率.307(215打数66安打)、8本塁打、40打点を記録。初打席初本塁打も放つなど期待の若手として注目を浴びる存在となった。

2年目にレギュラーを獲得すると2004年までヤクルトでプレー。同年オフにメジャーリーグを夢見てFA権を行使するが、メジャー移籍は叶わずパ・リーグの北海道日本ハムファイターズへと移籍する。移籍1年目の2005年こそ背番号「58」だったが、2006年からはヤクルト時代と同じく「41」を着用。

現役引退後もフロント職ながら背番号「41」を与えられている。

一方、稲葉選手が去ったヤクルトの背番号「41」は、木田優夫選手、そして雄平選手に受け継がれている。雄平選手は2007年からこの番号をつけ2010年に投手から外野手へと転向。稲葉選手と同じく右翼の守備を守っている。

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