プロ野球における背番号10の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号10の名選手たち


2017年現役選手の背番号「10」

3球団が永久欠番に制定している番号でもある背番号「10」。2017年は各球団どのような選手が背負っているのだろう。

日本ハム:清水優心選手(捕手)
ソフトバンク:不在
ロッテ:サントス選手(外野手)
西武:森友哉選手(捕手)
楽天:永久欠番(ファンのための番号)
オリックス:大城滉二選手(内野手)
広島:岩本貴裕選手(外野手)
巨人:阿部慎之助選手(内野手)
DeNA:戸柱恭孝選手(捕手)
阪神:永久欠番(藤村富美男選手)
ヤクルト:荒木貴裕選手(内野手)
中日:永久欠番(服部受弘選手)

不在:1球団
永久欠番:3球団
投手:0球団
捕手:3球団
内野手:3球団
外野手:2球団

東北楽天イーグルスが日本球界史上初となる、特定の選手ではなくファンの意味を込めて背番号「10」を永久欠番とした。球団創設時に制定されたため選手、コーチ、監督を含め着用した人物はいない。

阪神タイガースは「ミスタータイガース」こと藤村富美男選手の番号として永久欠番となった。阪神で背番号「10」を背負ったのは藤村選手のみとなっている。これは、日本球界史上で唯一の例だ。

中日ドラゴンズは、服部受弘選手が西沢道夫選手に次いで永久欠番として1960年3月に制定された。これ以降、中日では永久欠番は生まれていない。

日本球界最多安打記録保持者・張本勲選手

日本プロ野球において、史上最多となる3085安打を放っている張本勲選手。日米通算ではイチロー選手(マーリンズ)が4000安打を超え、いまだに安打を積み重ねているものの、日本球界で3000安打を達成しているのは張本選手しかおらず、偉大な選手の一人である。

また張本選手は504本塁打、319盗塁も記録しており、日本で唯一の500本塁打300盗塁達成者でもある。安打を放つだけでなく、本塁打を放つパワー、盗塁を決めることのできるスピードも兼ね備えていた。1981年にロッテで現役を引退し、その後はコーチや監督など指導者を務めることはなく、1990年に野球殿堂入りを果たした。

現在は、テレビ番組などでコメンテーターとして活躍している。

その張本選手は、1959年に浪華商業高校から東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団。その後、巨人、ロッテと3球団を渡り歩いたが、背番号は「10」で一貫していた。しかし、3球団ともに永久欠番となっておらず、背番号「10」は現在でも通常使用されている。

「ミスタータイガース」こと藤村富美男選手

伝統ある球団のひとつ阪神タイガース。その阪神で初めて永久欠番に認定されたのが「ミスタータイガース」こと藤村富美男選手の背番号「10」だった。

藤村選手は1936年に大阪タイガースへ入団。投打に渡り「二刀流」として活躍を果たし、投手として8年間で34勝11敗、防御率2.35。打者として17年間で打率.300(5648打数1694安打)、224本塁打、1126打点を記録している。また、首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回と多くの打撃タイトルも獲得しており、MVP1回、ベストナイン6回と初期のチームを支えた名選手だ。

阪神の歴史上、驚くことに背番号「10」は藤村選手しか背負っていないのだ。一人の選手しか背負ったことのない番号が、永久欠番となったケースは他にないだろう。
藤村選手は1951年に現役引退し、1957年からは監督としてチームを率いたが、その際も背番号「10」を着用した。

その後、国鉄スワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)、東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)とコーチを務めたが、その際は「10」を背負わず、1968年を最後に指導者からも引退し、1974年には野球殿堂入りを果たしている。

村山実選手、田淵幸一選手、掛布雅之選手らが藤村選手と同様に「ミスタータイガース」と呼ばれているが、永久欠番となったのは藤村選手と村山選手のみだ。今後、新たなミスタータイガースが誕生し、永久欠番が生まれるかに注目が集まる。

中日最後の永久欠番・服部受弘選手

中日ドラゴンズにおいて史上二人目の永久欠番となった服部受弘選手の背番号「10」だが、1960年3月に制定されて以降、永久欠番は生まれていない。2代目ミスタードラゴンズとも呼ばれ、監督まで歴任した高木守道氏の背番号「1」。立浪和義選手の背番号「3」なども永久欠番にはなっていないのだ。

球団史上最後の永久欠番となった服部選手は、1939年に名古屋軍(現中日ドラゴンズ)に入団し、投打に渡り活躍した。投手としては10年間で112勝65敗、防御率2.81、野手としては15年間で打率.239(1867打数447安打)、33本塁打、208打点の成績を残している。1941年には本塁打王を獲得するなど、主力選手として活躍していた。

1958年に現役を引退し、彼の背番号「10」は永久欠番となった。
これについてのエピソードとして、後に「フォークボールの神様」こと杉下茂選手が『もうひとりの永久欠番である西沢道夫選手とともに、引退させるための妥協点として背番号を永久欠番とする』という話があったと語っている。

「ビッグレッドマシン」を率いたスパーキー・アンダーソン監督

アメリカのメジャーリーグにも、偉大な背番号「10」はおり、ニューヨーク・ヤンキースのフィル・リズート選手がその一人だ。リズート選手は1937年にヤンキースへ入団している。168センチと小柄ながらも現役時代には、1661試合に出場し打率.273(5816打数1588安打)、38本塁打、563打点の成績を残している。その後、40年間にわたってヤンキース戦の中継を担当し、多くの名実況を生み出した。その功績をたたえて、背番号「10」が永久欠番となったのだ。

また1970年代に一世風靡したシンシナティ・レッズ率いる、スパーキー・アンダーソン監督も背番号「10」だった。1970年に監督として就任すると、リーグ優勝を達成し、1978年までの9年間で2度のワールドシリーズ優勝(1975年、1976年)など輝かしい成績を誇った名将だ。なかでも、「ビッグレッドマシン」と呼ばれた打線は強力で、日本にもその噂が入ってきたほどだった。1978年の日米野球で、来日も果たしている。2000年に野球殿堂入りを果たした際に、レッズで背番号「10」が永久欠番となった。

アメリカでは選手だけでなく、リポーターや監督の番号も永久欠番になるという事例があるようだ。

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