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プロ野球における背番号6の名選手たち

2017 9/13 14:03cut
坂本勇人,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2019年現役選手の背番号「6」

内野手のイメージが強い背番号「6」は、2019年シーズンもやはり内野手が多くなっている。各球団の背番号「6」は下記の選手だ。

日本ハム:中田翔選手(内野手)
ソフトバンク:今宮健太選手(内野手)
ロッテ:井口資仁監督
西武:源田壮亮選手(内野手)
楽天:藤田一也選手(内野手)
オリックス:宗佑磨選手(内野手)
広島:安部友裕選手(内野手)
巨人:坂本勇人選手(内野手)
DeNA:―
阪神:―
ヤクルト:―
中日:平田良介選手(外野手)

監督:1球団
不在:3球団
永久欠番:0球団
投手:0球団
捕手:0球団
内野手:7球団
外野手:1球団

ロッテの井口資仁監督が現役時代から背負っていた「6」を着用。現役監督では唯一の背番号一桁となっている。

ヤクルトは宮本慎也選手が引退後から空き番となっており、阪神は2018年シーズン限りで金本知憲監督が退任したため空き番となっている。

また、12球団中7球団で内野手が背番号「6」を背負っており、中田翔選手(日本ハム)、坂本勇人選手(巨人)らスタープレーヤーが名を連ねている。

日本唯一3度の三冠王 落合博満選手

日本プロ野球で唯一、3度の三冠王に輝いた落合博満選手は、ロッテ、中日、巨人、日本ハムと4球団を渡り歩き、通算2371安打、510本塁打を放っている。

落合選手は1983年のロッテ入団から中日最終年(1993年)まで背番号「6」を着用。巨人に移籍した1994年は、篠塚和典選手が「6」をつけていたため「60」を背負った。しかし、その年限りで篠塚選手が引退したため、1995年、1996年と背番号「6」で過ごした。1997年に日本ハムへ移籍した際には背番号「3」を付けた。生え抜きの田中幸雄選手が「6」を背負っていたため空き番を選んだ。

また現役引退後に中日の監督を務めた際は、「6」を並べた「66」を8年間にわたり着用。落合選手以降の中日の背番号「6」は、金村義明選手、久慈照嘉選手、井端弘和選手を経て、現在は平田良介選手が使用している。

当時、背番号「40」だった平田選手は、2013年オフに若い番号への変更を打診された際に、複数の空き番の中から「6」を選択。当時の落合GMから「誰がつけていた番号か知っているか?」と聞かれたが、平田選手は分からなかたっというエピソードがある。

巨人の主将 坂本勇人選手

巨人の主将であり、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表にも選出された坂本勇人選手はチームでも日本代表でも背番号「6」を背負っている。

1988年生まれの坂本選手は、田中将大選手(ヤンキース)、前田健太選手(ドジャース)、柳田悠岐選手(ソフトバンク)らと同い年。高校時代から注目を集めており、2006年高校生ドラフトで巨人から1位指名され入団した。入団当初の背番号は「61」だった。

入団2年目となる2008年に開幕スタメンを勝ち取ると全144試合に出場。この年から不動の遊撃手となり、同時に背番号も「61」から「6」へ変更した。背番号「6」として迎えた最初の2009年シーズンは、打率.306(581打数178安打)と初の打率3割をマークし、翌2010年には31本塁打と初の30本塁打を記録している。さらに2012年に最多安打、2016年には首位打者に輝き、球界を代表する遊撃手へと成長した。

2018年シーズン終了時点で1711安打を放っているため、ケガさえなければ名球会入りの条件である2000本安打は間違いないと見られる。今や球界を代表する選手が付ける背番号となった巨人の「6」、継承するのはどんな選手なのか今から楽しみだ。

監督でも「6」 金本知憲選手

2016年から3年間、阪神の指揮を執った金本知憲監督の背番号は、現役時代と同じく「6」だった。

1991年ドラフト4位で東北福祉大学から広島に入団した際は背番号「10」だった。入団3年目から頭角を現すと後半戦からレギュラーをつかみ、90試合出場で17本塁打をマーク。1995年には104試合で24本塁打を放った。2000年には打率.315(496打数156安打)、30本塁打、30盗塁とトリプルスリーも達成。その後もタイトルこそ獲得できなかったものの2002年シーズンまで広島の中心選手として活躍、オフにFA宣言し阪神へ移籍した。その時に与えられたのが背番号「6」だった。広島時代に背負った背番号「10」が、阪神では永久欠番だったことも理由のひとつである。

移籍初年度となる2003年にチームはリーグ優勝し、翌2004年には初タイトルとなる打点王(113打点)を獲得。広い甲子園球場を苦にすることはなかった。1492試合連続フルイニング出場を記録するなどチームを牽引し、2012年に惜しまれながら引退した。

阪神監督としては2016年から4位、2位、6位の成績。2018年オフに最下位の責任を取って辞任した。

「The Man」ことスタン・ミュージアル選手

1940年代から1960年代前半にかけてセントルイス・カージナルス一筋で戦ったスタン・ミュージアル選手。1941年にメジャーデビューを果たすと3年目となる1943年に打率.357(617打数220安打)で初タイトルとなる首位打者に輝くと、1963年の現役引退までに首位打者7回、打点王2回を獲得し、MVPは3回受賞している偉大な選手だ。

入団当初から背番号「6」を背負い続け、1963年に現役を引退すると同時にカージナルスの永久欠番となった。カージナルスでは初の永久欠番であり、1969年にアメリカ野球殿堂入りを果たしている。

ミュージアル選手は成績だけではなく、人格的も優れており「男の中の男」という意味を込めて「The Man」と呼ばれた。

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