プロ野球における背番号6の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号6の名選手たち


2017年現役選手の背番号「6」

内野手のイメージが強い背番号「6」は、2017年シーズンもやはり内野手が多くなっている。各球団の背番号「6」は下記の選手だ。

日本ハム:中田翔選手(内野手)
ソフトバンク:吉村裕基選手(外野手)
ロッテ:井口資仁選手(内野手)
西武:源田壮亮選手(内野手)
楽天:藤田一也選手(内野手)
オリックス:宗佑磨選手(内野手)
広島:梵英心選手(内野手)
巨人:坂本勇人選手(内野手)
DeNA:白崎浩之選手(内野手)
阪神:金本知憲監督(監督)
ヤクルト:不在
中日:平田良介選手(外野手)

監督:1球団
不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:0球団
捕手:0球団
内野手:8球団
外野手:2球団

阪神タイガースの金本知憲監督監督が現役時代に背負っていた「6」を着用。現役監督では唯一の背番号一桁となっている。

東京ヤクルトスワローズは宮本慎也選手が引退後から空き番となっており、守備の名手があらわれるまではこのままとなりそうだ。

また、12球団中8球団が内野手に背番号「6」を与えており、中田翔選手(日本ハム)、坂本勇人選手(巨人)ら第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも活躍した選手が背負っている。

日本唯一!3冠王を三度獲得!落合博満選手

日本プロ野球で唯一、三度の三冠王を獲得している落合博満選手は、ロッテオリオンズ、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツ、日本ハムファイターズと4球団で活躍し通算2371安打、510本塁打を放っている。

その落合選手は、1983年のロッテ入団から中日最終年(1993年)まで背番号「6」を着用していた。巨人に移籍した1994年は、篠塚和典選手が背番号「6」をつけていたため「60」を背負っている。しかし1994年で篠塚選手が引退したため、その後落合選手が背番号「6」をつけることになる。1995年、1996年と背番号「6」で過ごしたが、1997年に日本ハムへ移籍した際には背番号「3」を与えられた。フランチャイズプレーヤーである田中幸雄選手が背番号「6」は、背負っていたため、空き番号となっていた「3」を選んだのだ。

また現役引退後に中日の監督を務めた際は、「6」をふたつ続けた「66」を8年間にわたり着用した。落合選手以降の中日の背番号「6」は、金村義明選手、久慈照嘉選手を経て井端弘和選手、平田良介選手が使用している。

当時、背番号「40」着用していた平田選手は、2013年オフに若い番号への変更が行われた際に、複数の空き番号の中から「6」を選択した。落合GM(2013年オフ当時)「誰がつけていた番号か知っているか?」と質問したが、平田選手はわからなかたっというエピソードがある。

巨人の主将!坂本勇人選手

読売ジャイアンツの主将であり、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表にも選出された坂本勇人選手は、2017年現在、所属する巨人、日本代表でも背番号「6」を背負っている。

1988年生まれの坂本選手は、田中将大選手(ヤンキース)、前田健太選手(ドジャース)、柳田悠岐選手(ソフトバンク)らと同い年だ。高校時代から注目を浴びており、巨人から1位指名された2006年高校生ドラフト会議で入団した。当時与えられた背番号は「61」だった。

入団2年目となる2008年に、開幕スタメンを勝ち取ると全144試合に出場。この年から巨人の遊撃手を不動のものとし、同時に背番号も「61」から「6」へと変更したのだ。これは、坂本選手に対する球団の期待の高さを表している。背番号が「6」となった初年度の2009年には、打率.306(581打数178安打)と初の打率3割をマークし、2010年には31本塁打と初の30本塁打を記録している。その後、2012年に最多安打、2016年には首位打者と巨人の遊撃手の枠にとどまらず、球界を代表する遊撃手へとのし上がった。

11年目のシーズンとなる2017年には、1500安打を達成しているため、ケガさえなければ名球会入りの条件となっている2000本安打は間違いないと予想される。今や球界を代表する選手が付ける背番号となった巨人の「6」、次に継承するのはどのような選手なのか今から楽しみだ。

阪神の監督として!金本知憲選手

2016年から阪神タイガースの指揮を執る金本知憲監督の背番号は、現役時代と同じく「6」を着用している。金本監督は、1991年ドラフト4位で東北福祉大学から広島東洋カープに入団しており、当時与えられた背番号は「10」だった。

入団3年目の1994年から実力を発揮し、90試合の出場で17本塁打。後半戦からはレギュラーとして活躍し、翌1995年には104試合で24本塁打を放っている。2000年には打率.315(496打数156安打)、30本塁打、30盗塁をマークしトリプルスリーも達成した。その後、打撃タイトルこそ獲得できなかったものの2002年シーズンまで広島で活躍し、オフにFA宣言を行使し阪神タイガースへと移籍する。その時に与えられたのが背番号「6」だったのだ。広島時代に着用していた背番号「10」が、阪神では永久欠番になっていたことも理由のひとつである。

移籍初年度となる2003年にチームはリーグ優勝し、翌2004年に初の打撃タイトルとなる打点王(113打点)を獲得、広い甲子園球場を苦にすることはなかった。晩年は代打の切り札として起用され、2012年に引退。

1492試合連続でのフルイニング出場は、2016年終了時点で世界記録となっている。

「The Man」ことスタン・ミュージアル選手

1940年代から1960年代前半にかけてセントルイス・カージナルス一筋で戦ったスタン・ミュージアル選手。1941年にメジャーデビューを果たすと3年目となる1943年に打率.357(617打数220安打)で初の打撃タイトルとなる首位打者を獲得。1963年の現役引退までに首位打者7回、打点王2回を獲得し、MVP3回受賞している偉大な選手だ。

ミュージアル選手は入団当初から背番号「6」を背負い続け、1963年に現役を引退すると同時にカージナルスの永久欠番となった。カージナルスでは、これが初の永久欠番であり、1969年にアメリカ野球殿堂入りを果たしている。

ミュージアル選手は成績だけではなく、人格も優れており「男の中の男」という意味を込めて「The Man」と呼ばれていた。この愛称はメジャーリーグにおいても、有名な愛称のひとつとして2017年現在も語り継がれている。

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西地区
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