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プロ野球における背番号42の名選手たち

2017 12/29 21:24cut
野球ボール,グランド
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メジャーリーグ最後の背番号「42」マリアノ・リベラ選手

ジャッキー・ロビンソン選手のメジャーデビュー50周年の1997年4月15日。全球団の背番号「42」が永久欠番となった。着用を許されたのはその時点で「42」を背負っていた選手だけだ。そのひとりがマリアノ・リベラ選手だった。ニューヨーク・ヤンキースの守護神として活躍したリベラ選手も1997年開幕当時、実績はまだなかった。

この年に抑えを任され43セーブをあげたことで、史上最高のクローザーへの道を歩むことになったのだ。2011年まで15年連続30セーブ以上をマーク。最多セーブを3度記録し、2013年の現役引退時までに積み上げたセーブの数は652。これはメジャーリーグ史上最多となっている。また、ポストシーズン通算42セーブも歴代最多だ。

移籍市場が活発なメジャーリーグにおいてリベラ選手はヤンキース一筋でプレー。ヤンキースタジアムの9回表に登場曲であるMetallicaの「 Enter Sandman」が流れるとスタジアムのファンは勝利を確信した。それほどまでに絶対的守護神だったのだ。

今後、リベラ選手を超えるクローザーの登場はしばらくなさそうだ。

阪神の監督も務めた真弓明信選手

日本人選手で背番号「42」を背負い実績を残した者は多くない。「42」が「死」を連想させるために、空き番号となっていることも多かったからだ。そのなかで背番号「42」を背負い、飛躍を遂げた選手がいる。阪神タイガースの監督も務めた真弓明信選手だ。

1972年ドラフト3位で社会人野球の電電九州から太平洋クラブライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団した真弓選手は背番号「2」でプロ野球人生を歩み始める。翌1974年に背番号「42」へ変更すると徐々に出場試合数を増やし、1980年にはレギュラーとして118試合に出場。打率.280(418打数117安打)、8本塁打、38打点の成績を残す。そのオフに真弓選手は阪神へとトレードされた。
このトレードは「世紀のトレード」とも呼ばれており、阪神からは田淵幸一選手、古沢憲司選手が西武ライオンズ(この年に西武が買収)へ真弓選手、武田和史選手、竹之内雅史選手、若菜嘉晴選手が阪神へと移籍している。阪神においては背番号「7」となった。

この移籍が真弓選手の転機となり1983年には打率.,353(448打数158安打)で首位打者を獲得。1985年には一番打者として打率.322(497打数160安打)、34本塁打、84打点の成績を残し日本一に貢献。恐怖の一番打者として君臨した。

現役引退後は2009年から2011年までの3年間にわたり阪神の監督を務めている。

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