2024年現役選手の背番号「12」
投手が多い背番号10番台の中で、背番号「12」は異質の存在と言える。10番台では珍しく野手も背負う番号だ。2024年各球団の背番号「12」は下記の選手が背負っている。
阪神:坂本誠志郎捕手
広島:大道温貴投手
DeNA:不在
巨人:萩尾匡也外野手
ヤクルト:石山泰稚投手
中日:田島慎二投手
オリックス:東晃平投手
ロッテ:不在
ソフトバンク:嶺井博希捕手
楽天:不在
西武:渡邉勇太朗投手
日本ハム:矢澤宏太投手
不在:3球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:2球団
内野手:0球団
外野手:1球団
2024年シーズンは投手が6球団で最多だが、捕手が2球団、外野手も1球団で着用されている。
昨季38年ぶりの日本一に輝いた阪神では、捕手の坂本誠志郎が2016年から着用。かつて鈴木尚広や脇谷亮太がつけるなど野手番号となっている巨人は2023年から萩尾匡也が背負っている。
今季変更となったのは3球団。オリックスは昨季の新人王、山下舜平大が「11」へ変更となり、昨季まで「95」だった東晃平が引き継いだ。デビューから無傷の8連勝を記録した右腕が、大幅に軽くなった背番号でさらなる飛躍を目指す。
DeNAでは阪口皓亮が昨季途中にヤクルトへ移籍。ロッテは石川歩が育成契約となったため、両球団とも今季は空き番となっている。
イチローと大舞台で対戦した林昌勇
ヤクルトの守護神として活躍した林昌勇は、背番号「12」を背負い、2008年からの5シーズンで128セーブをマークした。右サイドスローから投げ込む最速160キロのストレートは、他球団の選手から恐れられた。
だが、日本の野球ファンにとって林昌勇と言えば、シーズンでの活躍より2009年3月に行われた第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝の印象が強いだろう。一次ラウンドから準決勝まで4試合連続無失点と韓国代表の守護神として活躍しながらも、決勝の日本戦の延長10回表、イチローに決勝タイムリーを浴びたシーンは有名だ。
日本中が歓喜に沸いたその瞬間、マウンドにいたのが、韓国代表でも「12」を背負う林昌勇だった。その後のシーズンで精神的なショックも心配されたが、57試合に登板して5勝4敗28セーブ、防御率2.05と安定した成績を残している。
2012年にヤクルトを退団後はメジャーリーグのシカゴ・カブスに入団するが、6試合で0勝0敗、防御率5.40と結果を残せなかった。その後は韓国へ戻り2018年までプレーした。
ヤクルトの「12」は2013年からドラフト1位ルーキーの石山泰稚が受け継ぎ、現在も背負っている。
柴田勲から鈴木尚広、萩尾匡也へ
巨人のV9時代を支えた柴田勲の入団当時の背番号は「12」だった。法政二高でエースとして甲子園夏春連覇を達成し、1962年に巨人へ入団。投手としての入団だったものの、1年で野手に転向し、1963年から外野手としてレギュラーに定着した。
持ち前の俊足を生かし、6度の盗塁王に輝くなどリードオフマンとして活躍。柴田が背番号「12」を背負っていた1969年までの間にも、3度の盗塁王(1966年、1967年、1969年)を獲得している。
この背番号「12」を2007年から背負ったのが鈴木尚広だ。鈴木は主に代走として起用され、終盤の勝負所で盗塁を決める姿が印象的な選手だった。盗塁成功率は驚異の82.9%(228盗塁47盗塁刺)を誇っている。
巨人では鈴木の引退後に脇谷亮太が2年間「12」を着用し、2019年は髙橋優貴、2020年からはデラロサ、2023年から萩尾匡也が背負っている。
盗塁数歴代2位の広瀬叔功
日本プロ野球おける歴代最多盗塁は福本豊(元阪急)の1065盗塁。それに次ぐ記録を残しているのが、通算596盗塁の広瀬叔功(元南海)だ。
1955年、広島県立大竹高校から南海に入団した当時の背番号は「57」だった。1957年にレギュラーを掴み、25盗塁をマークして俊足をアピール。1961年に背番号「12」へ変更すると、42盗塁で初のタイトルを獲得し、この年から5年連続で盗塁王に輝いた。
1964年には打率.366(456打数167安打)で首位打者を獲得。打撃面でも大きな成果を残している。
1977年に現役引退後、1978年から1980年まで監督を務めたが、1978年、1979年の2年間は現役時代と同じ背番号「12」で指揮を執った。監督最終年である1980年のみ背番号「70」を着用。また、1991、92年に南海の後継球団であるダイエーのコーチを務めた際は背番号「82」だった。1999年には野球殿堂入りも果たしている。
その後、ソフトバンクでは髙谷裕亮が長らく「12」を背負い、2023年から嶺井博希が受け継いでいる。
広島からメジャーへ アルフォンソ・ソリアーノ
広島が設立したドミニカのカープアカデミー出身であるアルフォンソ・ソリアーノ。1998年に年俸調停の末、球団の提示額が妥当との判断に納得できず、任意引退を経てニューヨーク・ヤンキースへ移籍。1999年にメジャーデビューを果たしている。
メジャー3年目となる2001年に、レギュラー定着し158試合に出場。翌2002年に背番号「12」へ変更し、初の打率.300(696打数209安打)をマーク、41盗塁でタイトルを獲得した。
以降、テキサス・レンジャーズ、ワシントン・ナショナルズ、シカゴ・カブスとわたり歩き、2013年途中にヤンキースへ復帰。2002年から2008年まで7年連続でオールスターゲームにも出場するなど、メジャーを代表する選手の一人となった。
2002年から2014年までの13年間の背番号は一貫して「12」を着用。ドミニカ代表として出場した2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも「12」だった。
【関連記事】
・ダルビッシュ、大谷翔平、オリックス山下舜平大ら新エースの系譜 プロ野球で背番号11を背負う選手たち
・阪神、中日、楽天で永久欠番 2024年は6球団で変更 プロ野球における背番号10の選手たち
・巨人・坂本勇人、西武・源田壮亮ら名遊撃手が居並ぶ プロ野球における背番号6の選手たち