プロ野球で背番号12を背負う名選手たち|【SPAIA】スパイア

「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

プロ野球で背番号12を背負う名選手たち


2017年現役選手の背番号「12」

投手、野手のイメージによる線引きが別れる背番号「12」。2017年各球団の背番号「12」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:松本剛選手(内野手)
ソフトバンク:髙谷裕亮選手(捕手)
ロッテ:石川歩選手(投手)
西武:郭俊麟選手(投手)
楽天:不在
オリックス:マレーロ選手(外野手)
広島:九里亜蓮選手(投手)
巨人:脇谷亮太選手(内野手)
DeNA:小林寛選手(投手)
阪神:坂本誠志郎選手(捕手)
ヤクルト:石山泰稚選手(投手)
中日:田島慎二選手(投手)

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:2球団
内野手:2球団
外野手:1球団

背番号「11」からの10番台は投手が多い中で背番号「12」は異質の存在だ。2017年シーズンでも投手、捕手、内野手、外野手と別れており、投手が多いものの各ポジションの選手が着用している。

唯一の欠番となっている東北楽天ゴールデンイーグルスは2015年、2016年シーズンにレイ選手が着用していたが、退団と同時に空き番号となった。

オリックス・バファローズもシーズン開幕当初は空き番号となっていた。しかし、途中加入の新外国人であるマレーロ選手に与えられている。

千葉ロッテマリーンズの石川歩選手はドラフト1位で入団から同番号でプレー。あらたな、背番号「12」の顔となることも期待される。

イチローと大舞台で対戦した林昌勇選手

近年、日本プロ野球界で実績を残した背番号「12」である林昌勇選手は、東京ヤクルトスワローズで守護神として活躍。最多セーブのタイトルを獲得することはなかったが、2008年から2011年の4シーズンで128セーブをマークしている。右サイドスローから投げ込む最速160キロのストレートは、他球団の選手から恐れられていた。

だが、日本の野球ファンにとって林昌勇選手と言えばシーズンでの活躍より、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝の印象が強いだろう。一次ラウンドから準決勝までは4試合連続無失点と好投、韓国代表の守護神として活躍を見せていた。しかし、決勝の日本戦で延長10回表、イチロー選手に決勝適時打を浴び敗戦投手となってしまう。

日本中が歓喜に沸いたその瞬間、マウンドにいたのは韓国代表の背番号「12」であった林昌勇選手だったのだ。その後のシーズンで精神的な後遺症も心配されたが、57試合に登板し5勝4敗28セーブ、防御率2.05と安定した成績を残している。

2012年にヤクルトを退団後はメジャーリーグのシカゴ・カブスに入団するが6試合で0勝0敗、防御率5.40と結果を残せなかった。その後は韓国へ戻り2017年現在も現役でプレーしている。また、第4回WBCにも背番号「12」として出場している。

柴田勲選手から鈴木尚広選手へ

巨人のV9時代を支えた柴田勲選手の入団当時、背番号は「12」だった。法政二高でエースとして甲子園夏春連覇を達成し、1962年に巨人へ入団。投手としての入団だったものの、1年で野手に転向し1963年から外野手としてレギュラーに定着。持ち前の俊足を生かし、6度の盗塁王を獲得するなどリードオフマンとして活躍した。柴田選手が背番号「12」を背負っていたのは1969年までであるが、その期間でも3度の盗塁王(1966年、1967年、1969年)を獲得している。また、赤い手袋を着用していたことから「赤い手袋」の異名もあった。

この背番号「12」を2007年から背負ったのが鈴木尚広選手だ。鈴木選手は主に代走としてプレーし、終盤の勝負所で起用され盗塁を決める姿が印象的な選手だった。通算200盗塁以上の選手の中では最も盗塁成功率が高く82.9%(228盗塁47盗塁刺)を誇っている。

巨人では鈴木選手の引退後に脇谷亮太選手が背番号「12」を着用しているが、柴田選手、鈴木選手と続いた走り屋の系譜が復活数することに期待したい。

盗塁数歴代2位!広瀬叔功選手

日本プロ野球おける歴代最多盗塁は福本豊選手(元阪急)の1065盗塁だ。それに次ぐ記録を残しているのが、通算596盗塁の広瀬叔功選手(元南海)だ。

1955年広島県立大竹高校から南海ホークスに入団した広瀬選手、入団当時の背番号は「50」だった。1957年にレギュラーを掴むと25盗塁をマークし俊足の片鱗を見せた。1961年に背番号を「12」へと変更すると42盗塁で初のタイトルを獲得。この年から5年連続で盗塁王に輝いている。

盗塁だけの選手と思われがちな広瀬選手だが、決してそんなことはない。1964年には打率.366(456打数167安打)で首位打者を獲得。打撃面でも大きな成果を残している。1977年に現役引退後、1978年から1980年まで監督を務めているが、1978年、1979年の2年間は現役時代と同じ背番号「12」で指揮を執った。監督最終年である1980年のみ背番号「70」を着用。また、1991年に南海の後継球団である、福岡ダイエーホークスのコーチを務めた際は背番号「82」が与えられた。

1999年には野球殿堂入りも果たすなど球史に名を残す選手である。

広島からメジャーへ!アルフォンソ・ソリアーノ選手

広島東洋カープが設立したドミニカのカープアカデミー出身であるアルフォンソ・ソリアーノ選手。1998年に年俸調停に納得できず、任意引退を経てニューヨーク・ヤンキースへと移籍し1999年にメジャーデビューを果たしている。

メジャー3年目となる2001年に、レギュラーへ定着し158試合に出場。翌2002年に背番号「12」へと変更し、初の打率.300(696打数209安打)をマーク。以降、テキサス・レンジャーズ、ワシントン・ナショナルズ、シカゴ・カブスと複数球団を渡り歩き、2013年途中に再びヤンキースへと戻ってきた。2002年には盗塁王を獲得し、2002年から2008年まで7年連続でオールスターゲームにも出場するなど、メジャーを代表する選手の一人となった。

その間の背番号は一貫して「12」となっており、2002年から2014年までの13年間にわたり背番号「12」を着用したことになる。また、2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではドミニカ代表として出場。この際の背番号も「12」だった。

近年においてメジャーリーグを代表する背番号「12」でもある。

おすすめの記事

関連記事

プロ野球 試合経過・結果

セ・リーグ

パ・リーグ

{{league_title}}

  • 本日開催される試合はありません

B1 順位表

東地区
中地区
西地区
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}

プロ野球 OPS順位

セ・リーグ
パ・リーグ
 選手名・所属チームOPS 
{{index + 1}}{{item.raw.Name}}{{item.raw['ShortName-Team']}}{{item.metrics.ops.toFixed(3)}}{{item.metrics.ops.toFixed(3).substring(1)}}
 選手名・所属チームOPS 
{{index + 1}}{{item.raw.Name}}{{item.raw['ShortName-Team']}}{{item.metrics.ops.toFixed(3)}}{{item.metrics.ops.toFixed(3).substring(1)}}

人気記事ランキング

関連記事

SPAIA スポーツコラム ライター募集中!