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異質の存在?プロ野球で背番号12を背負う選手たち

2020 8/18 18:09SPAIA編集部
ヤクルト・石山泰稚(左)とソフトバンク・髙谷裕亮ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「12」

投手、野手のイメージが一定しない背番号「12」。2020年各球団の背番号「12」は下記の選手が背負っている。

西武:渡邉勇太朗投手
ソフトバンク:髙谷裕亮捕手
楽天:近藤弘樹投手
ロッテ:石川歩投手
日本ハム:松本剛外野手
オリックス:不在
巨人:ルビー・デラロサ投手
DeNA:阪口皓亮投手
阪神:坂本誠志郎捕手
広島:九里亜蓮投手
中日:田島慎二投手
ヤクルト:石山泰稚投手

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:8球団
捕手:2球団
内野手:0球団
外野手:1球団

背番号「11」からの10番台は投手が多い中で、背番号「12」は異質の存在と言える。2020年シーズンでも投手、捕手、外野手の選手が着用している。

唯一の空き番となっているオリックスは、2019年までクリス・マレーロが着用していた。

ソフトバンクの髙谷裕亮が2007年から背負っており、現役では最も長い。日本ハムの松本剛は2012年から、ヤクルトの石山泰稚は2013年から着用している。

イチローと大舞台で対戦した林昌勇

ヤクルトの守護神として活躍した林昌勇は、背番号「12」を背負い、2008年からの5シーズンで128セーブをマークした。右サイドスローから投げ込む最速160キロのストレートは、他球団の選手から恐れられた。

だが、日本の野球ファンにとって林昌勇と言えば、シーズンでの活躍より2009年3月に行われた第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝の印象が強いだろう。一次ラウンドから準決勝まで4試合連続無失点と韓国代表の守護神として活躍。しかし、決勝の日本戦の延長10回表、イチローに決勝タイムリーを浴びた。

日本中が歓喜に沸いたその瞬間、マウンドにいたのが、韓国代表でも「12」を背負う林昌勇だった。その後のシーズンで精神的なショックも心配されたが、57試合に登板して5勝4敗28セーブ、防御率2.05と安定した成績を残している。

2012年にヤクルトを退団後はメジャーリーグのシカゴ・カブスに入団するが、6試合で0勝0敗、防御率5.40と結果を残せなかった。その後は韓国へ戻り2018年までプレーした。

柴田勲から鈴木尚広へ

巨人のV9時代を支えた柴田勲の入団当時の背番号は「12」だった。法政二高でエースとして甲子園夏春連覇を達成し、1962年に巨人へ入団。投手としての入団だったものの、1年で野手に転向し、1963年から外野手としてレギュラーに定着した。

持ち前の俊足を生かし、6度の盗塁王に輝くなどリードオフマンとして活躍。柴田が背番号「12」を背負っていた1969年までの間にも、3度の盗塁王(1966年、1967年、1969年)を獲得している。

この背番号「12」を2007年から背負ったのが鈴木尚広だ。鈴木は主に代走として起用され、終盤の勝負所で盗塁を決める姿が印象的な選手だった。盗塁成功率は驚異の82.9%(228盗塁47盗塁刺)を誇っている。

巨人では鈴木の引退後に脇谷亮太が2年間「12」を着用したが、2019年は髙橋優貴、2020年はデラロサと最近は投手が背負っている。

盗塁数歴代2位の広瀬叔功

日本プロ野球おける歴代最多盗塁は福本豊(元阪急)の1065盗塁。それに次ぐ記録を残しているのが、通算596盗塁の広瀬叔功(元南海)だ。

1955年、広島県立大竹高校から南海に入団した当時の背番号は「50」だった。1957年にレギュラーを掴み、25盗塁をマークして俊足の片鱗を見せた。1961年に背番号「12」へ変更すると、42盗塁で初のタイトルを獲得。この年から5年連続で盗塁王に輝いた。

1964年には打率.366(456打数167安打)で首位打者を獲得。打撃面でも大きな成果を残している。

1977年に現役引退後、1978年から1980年まで監督を務めたが、1978年、1979年の2年間は現役時代と同じ背番号「12」で指揮を執った。監督最終年である1980年のみ背番号「70」を着用。また、1991、92年に南海の後継球団であるダイエーのコーチを務めた際は背番号「82」だった。

1999年には野球殿堂入りも果たしている。

広島からメジャーへ アルフォンソ・ソリアーノ

広島が設立したドミニカのカープアカデミー出身であるアルフォンソ・ソリアーノ。1998年に年俸調停の末、球団の提示額が妥当との判断に納得できず、任意引退を経てニューヨーク・ヤンキースへ移籍。1999年にメジャーデビューを果たしている。

メジャー3年目となる2001年に、レギュラー定着し158試合に出場。翌2002年に背番号「12」へ変更し、初の打率.300(696打数209安打)をマーク、41盗塁でタイトルを獲得した。

以降、テキサス・レンジャーズ、ワシントン・ナショナルズ、シカゴ・カブスと複数球団を渡り歩き、2013年途中に再びヤンキースへ復帰。2002年から2008年まで7年連続でオールスターゲームにも出場するなど、メジャーを代表する選手の一人となった。

2002年から2014年までの13年間の背番号は一貫して「12」を着用。ドミニカ代表として出場した2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも「12」だった。

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