プロ野球における背番号21の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号21の名選手たち


2017年現役選手の背番号「21」

投手の番号として定着している背番号「21」。2017年各球団の背番号「21」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:武田久選手(投手)
ソフトバンク:和田毅選手(投手)
ロッテ:内竜也選手(投手)
西武:十亀剣選手(投手)
楽天:釜田佳直選手(投手)
オリックス:西勇輝選手(投手)
広島:中﨑翔太選手(投手)
巨人:吉川光夫選手(投手)
DeNA:今永昇太選手(投手)
阪神:岩田稔選手(投手)
ヤクルト:松岡健一選手(投手)
中日:岡田俊哉選手(投手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:12球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

2017年シーズンは全12球団が投手の番号となっている背番号「21」。右腕7選手、左腕5選手の内訳となっており、左腕が与えられることの多い番号ともいえるだろう。

読売ジャイアンツにおいては高橋一三選手が1967年に背負い左腕エースに与えられることが多くなった。高橋一三選手以降は右投手に与えられることもあったものの、宮本和知選手、高橋尚成選手ら左腕エースが着用。2017年シーズンからはトレードで加入した左腕の吉川光夫選手に与えられている。

親会社が変わってもエースの系譜は続く

南海ホークスの大エースとして活躍した杉浦忠選手。立教大学時代は長嶋茂雄選手(巨人)とともにプレーし、1958年に南海へ入団すると背番号「21」を与えられた。この年、杉浦選手は27勝12敗、防御率2.05の成績を残し新人王を受賞。
翌1959年には38勝4敗と圧倒的な勝率でMVPに輝きチームの優勝に貢献。日本シリーズでは4連投4連勝とまさに大車輪の活躍をみせ、ここでもMVPに輝いている。日本シリーズ4連投4連勝は今後、破られることのない不滅の大記録と言っていいだろう。

杉浦選手は1970年までに187勝106敗の成績を残し、名球会入会資格の200勝まであとわずかのところで現役を引退。その後、1986年から1989年までは南海(1989年はダイエー)の監督も務めている。監督として実績を残すことは出来なかったものの、競技者表彰で1995年に野球殿堂入りも果たしている。

この杉浦選手以降、親会社がダイエー、ソフトバンクと変わっても工藤公康選手、和田毅選手らエース級の選手に背番号「21」が与えられエースの系譜は続いている。2016年シーズンもメジャーリーグから復帰した和田選手が、この番号を背負い最多勝を獲得。今後も、エース級の選手に受け継がれていくことになりそうだ。

横浜DeNAベイスターズの背番号「21」

南?ホークスから福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークスにおいてチーム名が変わっても受け継がれてきた背番号「21」の系譜。同様に横浜DeNAベイスターズも前身球団である横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズを経てこの番号が受け継がれている。

大洋に入団後、ロッテオリオンズ、日本ハムファイターズと渡り歩き再度チームに戻ってきた野村収選手は再加入時に背番号「21」を与えられた。移籍初年度に17勝を挙げ、最多勝を獲得すると5年間47勝をマーク。その後も、阪神タイガースに移籍し通算121勝をマークした好投手でもある。
野村収選手は史上初めて12球団から勝利を挙げた投手でもある。当時は交流戦もなく、セ・パ2球団ずつ所属することで初めて達成可能となる難易度の高い記録でもあった。

その後、PL学園高校で春夏連覇を達成した野村弘樹選手が1988年に入団し「21」を着用。2002年の現役引退までに101勝を挙げ左腕エースとして低迷期のチームを支えている。

2016年からは野村弘樹選手と同様に左腕の今永昇太選手がこの番号を背負い、初年度から8勝。2年目となった2017年もローテーションの一角として先発陣を支えている。先輩達が達成した通算100勝を通過点とし背番号「21」の系譜を途絶えさせないようにすることに期待が掛かる。

西武ライオンズの「21」

埼玉西武ライオンズも前身球団である西鉄ライオンズ時代から、背番号「21」はエース級の投手が多く背負ってきた。初代の背番号「21」は1950年に読売ジャイアンツから移籍してきた川崎徳次選手だ。
川崎選手は移籍初年度に12勝を挙げると6年連続二ケタ勝利を達成。1953年には24勝15敗、防御率1.98の成績で最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得。最優秀投手、ベストナインも受賞している。

その後、1969年からはドラフト1位で箕島高校から入団した東尾修選手が着用。1988年に現役を引退するまでに251勝をマークするなど長らくエースとして君臨。その後は監督として西武ライオンズを率い2度のリーグ優勝を達成している。監督時代は背番号「21」ではなく「78」を着用した。

その後も、ドラフト1位で入団した渡辺智男選手、日本ハムファイターズから移籍してきた西崎幸広選手、石井貴選手など有望選手に与えられているが、川崎選手、東尾選手のような実績を残した選手は不在。
2012年からドラフト1位で社会人の強豪・JR東日本から入団を果たした十亀剣選手が着用中だ。先輩達に負けない実績を残すことに期待が掛かっている。

近鉄最後の「21」岩隈久志選手

大阪近鉄バファローズ最後の背番号「21」が岩隈久志選手(現・マリナーズ)だった。岩隈選手は1999年ドラフト5位で堀越高校から近鉄に入団し、背番号「48」を背負っていた。2001年に一軍デビューを果たし初勝利をマーク。
2002年には先発ローテーションに入り、8勝を挙げると翌2003年からは背番号「21」に変更。2年連続15勝をマークするなど球界を代表する投手となった。

近鉄が消滅し、東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した2005年以降も引き続き「21」を着用。故障に苦しみながらも2008年に復活。21勝4敗、防御率1.87の成績を残し最多勝、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得。チームは5位ながらMVPも受賞した。優勝チーム以外からMVPが選ばれたのは1994年のイチロー選手(オリックス)以来14年ぶりのことだった。また、Bクラスのチームからの選出は1988年の門田博光選手(南海)以来20年ぶりである。

所属球団以外を見るとアテネオリンピック、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表としてプレーしたが、その際は背番号「20」を着用した。

2012年からメジャーリーグのシアトルマリナーズへ移籍しているが、背番号は「18」を与えられている。楽天において岩隈選手移籍後の背番号「21」は釜田佳直選手が引き継いだ。トミージョン手術を受けるなど、故障が続いたが先発ローテーションに入ることを期待されている。

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