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プロ野球における背番号21の名選手たち

2017 10/13 10:05cut
ピッチャー
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横浜DeNAベイスターズの背番号「21」

南?ホークスから福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークスにおいてチーム名が変わっても受け継がれてきた背番号「21」の系譜。同様に横浜DeNAベイスターズも前身球団である横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズを経てこの番号が受け継がれている。

大洋に入団後、ロッテオリオンズ、日本ハムファイターズと渡り歩き再度チームに戻ってきた野村収選手は再加入時に背番号「21」を与えられた。移籍初年度に17勝を挙げ、最多勝を獲得すると5年間47勝をマーク。その後も、阪神タイガースに移籍し通算121勝をマークした好投手でもある。
野村収選手は史上初めて12球団から勝利を挙げた投手でもある。当時は交流戦もなく、セ・パ2球団ずつ所属することで初めて達成可能となる難易度の高い記録でもあった。

その後、PL学園高校で春夏連覇を達成した野村弘樹選手が1988年に入団し「21」を着用。2002年の現役引退までに101勝を挙げ左腕エースとして低迷期のチームを支えている。

2016年からは野村弘樹選手と同様に左腕の今永昇太選手がこの番号を背負い、初年度から8勝。2年目となった2017年もローテーションの一角として先発陣を支えている。先輩達が達成した通算100勝を通過点とし背番号「21」の系譜を途絶えさせないようにすることに期待が掛かる。

西武ライオンズの「21」

埼玉西武ライオンズも前身球団である西鉄ライオンズ時代から、背番号「21」はエース級の投手が多く背負ってきた。初代の背番号「21」は1950年に読売ジャイアンツから移籍してきた川崎徳次選手だ。
川崎選手は移籍初年度に12勝を挙げると6年連続二ケタ勝利を達成。1953年には24勝15敗、防御率1.98の成績で最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得。最優秀投手、ベストナインも受賞している。

その後、1969年からはドラフト1位で箕島高校から入団した東尾修選手が着用。1988年に現役を引退するまでに251勝をマークするなど長らくエースとして君臨。その後は監督として西武ライオンズを率い2度のリーグ優勝を達成している。監督時代は背番号「21」ではなく「78」を着用した。

その後も、ドラフト1位で入団した渡辺智男選手、日本ハムファイターズから移籍してきた西崎幸広選手、石井貴選手など有望選手に与えられているが、川崎選手、東尾選手のような実績を残した選手は不在。
2012年からドラフト1位で社会人の強豪・JR東日本から入団を果たした十亀剣選手が着用中だ。先輩達に負けない実績を残すことに期待が掛かっている。

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